2008/06/16

コーヒー

アリストテレスやプラトンが当時のアテナイの奴隷制について批判的になる視点を持っていなかったり或は奴隷制を容認していたことについて現代の日本に生活している我々が不満を持つのと同じように、或は啓蒙時代の哲学者が実生活においては当時の身分制度にどっぷり浸かっていたことに軽い失望と諦念を覚えるのと同じように、或はロマン時代以降の知識人のオリエンタリズムや帝国主義に対する我々の所感と同様に、未来人は例えば「南」の国々に対する「北」の現代人の態度に不満を持つだろう。
帝国主義を「経済」で偽装した新しい奴隷制であるとするなら、現代の世界で起きていることは「グローバリゼーション」と「民主化」で偽装された新しい帝国主義、といったところか。
未来人はこれに何という名前を付けるのだろう。
或はチョムスキー辺りの人達は、その名を未来に残すだろうか。

我々は普通、一つには、自分の他者に対する態度をがらりとは変えたがらないものだし、一つには、自分が与えている不平等に自ら進んで目を向けることは少ないものだ。

私も例えばコーヒーや紅茶なんかはよく買っているが、それが本当に特に問題の無い振る舞いなのかどうかは、実際のところよく解らない。

因みにトラジャコーヒーとニルギリ紅茶が好みだ。