日常的な、余りに日常的な
日々の憂鬱な記録
2008/04/20
抹茶
我々は単に「ロック」や「クラシック」等々に携わっているだけではない。
「音楽」や「芸術」に携わっているのだ。
ということは拙い評論家の評論においてよく忘れられているように思える。
このことを忘れると、音楽はつまらなくなるし、音楽評論はもっとつまらなくなる。
古い抹茶を使い切ったので、新しいのを開ける。
私の点てる茶が不味かったのは、腕半分、茶の古いの半分だ。
新しいのを使えば一寸はマシになった。
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