2008/04/01

近代式平等観と唯物論

ルソーに始まる近代式民主主義観或は近代式「人間の平等」観の発展が、仮に唯物論の発達に拠って支えられてきた一面があるのだとすれば、私のような、唯物論よりは寧ろ唯名論の方へと一歩を踏み出して了っている者は、近代民主主義或は平等観を、現代においては、どのように見直さなければならないのだろうか・・・・という問題はあり得る・・・かも知れない、ということを風呂の中で思い付く。
なんで思い付いたんだっけ?
途中が抜けている。
人の曰く登り切った梯子は捨ててしまわなければならないそうだが、慌てん坊の私は上っている途中の梯子をガンガン捨ててしまう。

併し近代式平等観と唯物論とを説得力のある形でつなげるのは、少々骨の折れる仕事であるような気がする・・・。
それなりにつながるような気もするし、それなりに意味のある形ではつながらないかも知れない。

そういや似たようなことを誰かが言ってたような気がするんだけどなあ。
誰だっけなあ。
テイラー?じゃなかったと思うんだが?
参った、勉強してないのがバレる。

「民間心理学的記述と物理学的記述との間に翻訳の不確定性がある」という思い付きも、私はなんてステキな思い付きをするのだ、私は本当は天才だったのか、とか思っていたら、20年か30年近く前に既に他の人が同じことを言ってたりとか。
ホント、やーねぇ。

どうも私は頭と格好が悪くて不可ない。