2007/01/22

慣らし

喉の痛みはなんか取れないが、その他は大分良くなった。

K271S(→サウンドハウス)も大分音がちゃんと出るようになってきた。
寝てる間とかにクッションを挟み込んで(クッションに音楽を聴かせるような形で)音漏れの問題を解決しつつ、CDをループさせて、音をガンガン鳴らし続けて慣らすのです。
あとヘッドフォンを頭から外すとヘッドバンドと連動して、鳴ってる音が切れる、というオートミュートのスイッチが左耳のところに付いているので、私はシャーペンの消しゴムのキャップをスイッチのところに被せて、頭から外してもスイッチが切れないようにしている。

普通はこの作業は「ageing(経年変化、年をとらせる、熟成)」と呼ばれているみたいだけど、あんまり素敵な言葉ではないねえ。
つまり「年を経て安定したときの音質になるようにする作業」という訳だ。
でも実際べつに一週間も掛からないんだし、「age」のような長期的な時間概念を持ち込むのは、私の感覚からすると、あんまり美しい表現ではない。
而も「ageing」の場合は経年変化による「劣化」も意味することができるが、この場合は明らかに「改善」を意図しているので、「慣らし」の方が端的で無駄が無く、私の好みに合う。
まあどうでもいい話だけど。
要するに私は巷で謂われる所の「ageing」をやってる訳ですが、イマイチ語の美しさに欠けるように感じるので、普通に「慣らし」と言ってる、というだけの話でして。
ああ、或は私はどーでもいい概念を用語化するのが嫌いなんだ。
単に専門外の人をべつに大したこと言ってる訳でもないのに不適切にも疎外したり脳味噌のリソースの無駄遣いをさせたりするだけでなく、その用語を使うことで自分が実際のよりも物知り顔になったりするのがムシズが走るんだ。
多分そうだ。そういうことにしておこう。
おお、一寸は面白くなりそうだ。
ああ、でも特定の文脈上の用語である「ageing」と言うことによってこの文脈では特定の具体的な作業を意味するけれど「慣らし」だともしかしたら他の具体的な作業も連想できてしまって、「慣らしてる」と言った方がより曖昧である可能性もあるのか。
ということで、専門用語化する意味は完全に無くなっている訳ではなく、今までの話は的を射てないかも知れない。
まああんまり有意味な用語化とは言い難いけど、完全に無意味ではない訳だ。
うーん、でも別の作業を連想しようが、より一般的には、慣らしてるんだよなあ。
でも「あんまり有意味ではない用語化」が私にとって美しくないのは確かだ。
うん、矢っ張り美しいメタファーじゃねえ。
上の「脳味噌のリソース」ってのも人間の思考をコンピュータの情報処理に喩えたものだけれど、これは抵抗無い。
なんでかねえ。
矢っ張りメタファーとしての美しさの問題かねえ。
或は音楽を創る側の人間として、受容者のイメージのあるオーディオ愛好家達が使う言葉を敢えて使わないことで、普通のオーディオ愛好家達と一線を画しておきたいという欲求の現われなのかも知れない。
でも私も或意味オーディオ愛好家だしなあ。
そんな高い機材持ってないけど。
うーん、これも一寸違う。
まあどうでもいいや。
矢っ張り大して面白い話じゃないし。
美しさの感覚を説明するのは難しい、という結論で。
人間は、多分もっと複雑にできてるんだ。
もっと沢山語られなければならない。
複雑さを目の前にして絶望するのではなく。

まあ、兎も角もう一寸慣らしとこう。
大分良くなったけど、未だ高音域のデキが不十分で、中低域が一部一寸出っ張りすぎている問題がある。
慣らしが済んだら、ATH-A900(→サウンドハウス)との比較の記事でも書こうか。