2007/01/05

来歴

どのようにして今自分がこのような思考体系を持つに至ったのかの来歴を内省によって辿ることは難しい。
私は今でも十分に駄目な哲学の訓練生だが、昔はもっと駄目な訓練生だった筈だ。
私がもっと駄目な訓練生だったときに何を考えていて、どのようにしてその考えが変わってきたのかを思い出すことができれば、論文を書くのは幾らか簡単になるだろうし、誰かに何かを教えるときスムーズに教えることができるだろう。
然し多くの場合、それは思い出すことが難しい。

私が或詩的記述を目の前にして「ああ、私はそれが言いたかったのだ、私もそう思っていたのだ。」と言う以前、私は何を言いたくて何を思っていたのだろうか。
私は確かに何かを言いたかった筈である。
ぼやけていた思想がはっきりとしたとき、それまで私は何を考えていたのだろうか。

思想がぼやけていることをピンぼけの写真とのアナロジーで把握することには、恐らく限界がある。
若しかしたら思想を像として捉えることにも限界があるのかも知れない。