2012/02/07

マリーアントワネット風の「自分らしさ」

考えたことをすぐ忘れる。
カバンの中のすぐ取り出せるところにメモを入れているし風呂や便所を含む家の中の各所にメモを置いているが、それぞれのメモはバラバラで一貫性や一覧性が無い。

因みにブログ書いているときに思いついたことはメモ帳でなくブログに書いていることが多いが、メモ帳に書いたことをブログに書くことは殆ど無い。
成程、つまりブログも散在するメモの一つなんだな。
でも自分のブログを読み返すことは無いなあ。

重要なことがメモされているならそのメモがある場所まで行って確認すればいいのだが、普通程度の重要度のメモを思い出すのに腰をあげるのはなんだか面倒臭い。
なので、一つのメモ帳を常に携帯するか或はそれぞれのメモの間で同期できればいいのだけれど。
てか私の記憶力が上がればいいのだけどなあ。
頭とか良くならんかね。パッとさ。


てことで私的言語メモ。
例えば私は、色んな人の物真似の寄せ集めみたいなものだ。
色んな物真似が私の構成要素となっているし、それに依って私のアイデンティティは強化されているし、恐らくはオリジナリティも同様に強化されている。
一方で、人々の中には、誰か特定の人物と同化することで社会生活における自分の場をようやく保っている人も居るだろう。
子供の時分にはそういうことも多いのかも知れない。知らんけど。
ほいで、「これは自分ではない」等と悩んだりする訳だ。
で、そういう悩みを抱えているような人に対して「君は君のままの、君らしく在ればいい」みたいに言うのが「自分らしさ」という言葉の寧ろ一般的な使用であるということが、最近やっと解った。
全くの無責任で無意味な、何の解決にもならない役立たずな言葉であるように響く。
「パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない」みたいな感じ。