2010/06/15

或泣き言

セラーズがムズいよう・・・。

或種の科学的実在論を採れば、反実在論を採ることで議論が複雑になってるところを、色々すっとばすことができて楽なんだけど・・・。
或は寧ろその方が風通しが良いかも知れない。
多元論を採っていても採れるような(緩やかな)科学的実在論はあると思うんだ。
セラーズのは多分そんな感じだと。
あとデネットがそれに結構近い感じ(彼は慥か自分自身のことを「「緩やかな実在論者たち」よりももっと緩やかな("milder than mild"だったかね)実在論者だ」的なことを言ってたと思う)。

もう「感じ」程度のことしか言えない・・・。

私が反実在論に拘るのは、一つにはそれが一番私にとってしっくり来るし、色々な仕方で私自身それを正当化することができる(と、少なくともそう思っている)からであるが、もう一つには、自らが或種の権威主義に陥ることを恐れている、ということが何か無意識的な影響を及ぼしているような気もしないでもない。
この「無意識的な影響」についてちゃんと書けたら、多少面白くなる気がする。
ちゃんと書けたら。

そしてもう眠い。

あ。
毎度お馴染み私的言語メモ。
権威主義といえば。
私はチョムスキーの謂うようなかなり広い意味での「アナキスト」(サイードの「左翼」に似ている)には含まれる(或はそうありたい)と思うけれど、もっと狭い意味の、個々のアナキズムのどれかに属している訳ではないんだよなあ。

序でにもう一つ。
心理学的「顔認知」にウィトゲンシュタイン的「魂への態度」とアンドロイド的「不気味の谷」を混ぜ合わせたら何か面白いことが起こりそう。
或は既に使い古されてるかも知れないが・・・。