ここ数日、眠くてスゲーしんどいのに眠れない病。
寝ても1時間ぐらいで目が覚めてしまう。
ギンギンだ。
そしてスゲーしんどい。
どうかしてる。
台風が来つつある。
ドキドキする。
テレビを点ければいつも思うこと、曖昧な文章で:
我々の安っぽい憎悪は、ニュースキャスター達の眉の動き一つで簡単に操作され、幾らチャンネルを替えようとも口裏を合わせたように(或は記者のメモが交換されたかのように)同じことの繰り返しに因って、簡単に染められる。
序でに言っておくと、ニュースキャスター達は自分が何を操作しているかは何一つ理解していないのだろう。
それどころか恐らくはニュース制作に携わっている人の誰一人として自分が世界に対して何をしているのか理解していないんじゃないかと私は疑っている。
我々のお手軽な憎悪は、「憤り」の語でラップした復讐や仇討ちへの欲求と交換可能だ。
序でに我々には、これと不正に対する憤りとを区別する能力が、ショボいポストモダン好き達が見れば自説を裏付けるサンプルとして重用したがる程に欠けているのだから始末が悪い。
人を憎めとをしへしや。
人を殺せとをしへしや。
我々はムルソーの妄想を現実のものにしようとして日々邁進している訳だ。
例えば冤罪は、足利事件の注目されたにも拘わらず、これからもっと増えるだろう。
量刑とは、これからも引き続き、ニュースを見た人の憎悪の量を量ることだとしたら。
或は逮捕は依然としてそれ自体脅しに使うことができる訳だ。
我々の憎悪が相変わらずお軽いものならば。
ロリコンや同性愛や外国人や自殺者や・・・(以下略)でも同じ。
我々が人間を人間として扱えるようになる日はまだまだ遠いようだ。
鬱苦しい国。
そういや犯罪被害者(或はその近親者)の気持ちがその犯罪の量刑に含まれるべきだと考えるなら、それは、被害者(或はその近親者)が犯罪者を赦したり、例えば妻を殺された夫がその妻を指して「アイツはイッペン死んだ方がよかったんだ」と言ったりすれば、そうでないときに比べて軽い量刑で済ませるべきだということを含意しているのだろうか。
然しそれを含意していないとしたら、これはどういう意味なんだ?
ニュースキャスター達は一体何を話しているんだ?
疲れて眠くてたまらない。
眠れるかなあ。