2007/12/26

生きた人間、或はウィンストン・スミス

手帳に書き綴る私の字は非常に小さく、それは宛もアメリカのサイコサスペンスに出てくるサイコキラーの手帳のようなのだ。
それに私は人付き合いが苦手で内向的で漫画が好きで芸術なんかを愛してるもんだから、私がアメリカ映画に出たとすれば、必ずサイコキラーにならなくてはならない。
大団円を迎える為には、面倒臭いことに、サイコキラーは人を殺さなくちゃならないし、そして最後に正義の警察か誰かに銃で撃ち殺されなければならない。
そこに生きた人間は存在しない。

或は人間を「凶暴な異常者」に仕立て上げたり或は「凶暴な異常者」が遍在しているものとして記述したがる偽物のジャーナリズムのおかげで、我々は、他者に無関心で居るか無関心を装うか、或は他者の「異常」性にのみ関心を向け、お互いを監視し、それでいて自分はできるだけ「普通」に見えるように振る舞うように強いられる。
私のようなチキンハーツは従順にそれに従ってしまう。
我々には、人間が全うな意味での「人間」でなくていいのだ。

そういう訳で、人前で手帳を広げるのは少々勇気が要る。
残念ながら私にはその勇気は無い。
手帳の内容でも読まれた日には、私は恥ずかしさの余り、自殺する勇気ぐらい楽に得ることができるだろう。

私は公衆便所に籠もり、鍵をかけ、ウィンストン・スミスの格好で手帳を開き、大体次のように書き綴る:

2007.12.25
曇っている。空が。
ねずみ色。
ねずみ色の世界。
隣の男が私の肘にずっと当たっていて、私の脇の筋肉が痺れてきている。
脂の臭い。
肺に工事の粉塵を吸引する。
道路沿い信号待ちの花壇にペットボトルや空き缶が突き刺さっている。
同時にバナナの皮が肥料になりかけている。
私には喰っていける保証など無いが、然し今月喰って未だ少し遊べるぐらいの金銭的余裕はある。
だからまあ、君達人類、生きた人間の幸福を、今日ぐらいは、折角だから、祈ってやることもやぶさかではない。
メリークリスマス!