2007/07/30

無意識

昔考えたことなのだが、どれだけ得票数が多くても一つの政党につき最高で定員の1/3(或は1/5)までしか議席を獲得できない、というような法律があれば、一寸は面白くなるかも知れない。
考えた当時は、それで数ではなく政策と議論が政治家や政党の政治的価値を決めるようになるような気がしたのです。
まあ実際にそれをまともに機能するようにやろうとすると、かなり多くの制約を加えなければならなさそうだが。
それより、まあ昔から言われていることだが、テレビ局の番組を作ってるような人達が政治について真面目に考え始めるという方がよっぽど面白くなるだろう。

多くの人はテレビを見て自分がどこに投票するか決めているのだろう、と思う。
テレビを見た印象で。
どこもかしこも、特に政策についての大した解説も無く、「自民党がなんかダメっぽいから、じゃあ民主党しかないなあ」みたいな雰囲気を繰り返し醸し出しているだけのテレビを見て。
色々使ってみた実感というより寧ろテレビCMを見てシャンプーを選ぶような感じで。
それでも人は「私は自分で考えて選んだのだ、これはよいものだ」という気になるのだそうだ。

因みに選挙カーが自分の政策の説明をして回るのでなく自分の名前を連呼するだけなのは、一度聞いたことのある名前の人に対する好感度が上がる(その人に投票しやすくなる)という人間の性質を利用しようとしているのだ。
以前あずまきよひこが、選挙カーがうるさいので、選挙カーで名前が聞こえた人以外の人に投票しようみたいなことを言ってた。まあそれはそれでどうかと思うが。
然しまあ、自分の名前を連呼するだけの選挙カーなど、政治的に無意味なだけでなく騒音公害のタチの悪い奴でしかないので、そんな自分勝手で公害な奴に票を入れることはない(と言いたいところだが、そうすると誰にも票を入れられなくなってしまいやしないだろうか)。

選挙の予測をするには、政党の政策が実際にどのようなものなのか詳しく分析してみる必要は無いだろう。
テレビをぼんやり見るだけでよい。
而も沢山見る必要は無い。
どこでも同じだから。
よくあんなに足並みを揃えられるものだ。
何も考えていないのだろう。
特に自分達と社会との影響関係について本当に何も考えていないのだろう。

いつまで我々は選挙の話をするときに無意識とか識閾下とかの心理学の話ばかりしてなくちゃならないのだろう。
勿論心理学も必要だが、兎も角政治の話ができるような状況になることが必要だ。
政治家が選挙資金とか著名度とかメディアの気まぐれとかなんとなくの雰囲気よりも政策で勝負しなければならないような状況が。


どうでもいいけど雷がすげー鳴っている。