2010/05/31

ワインでアルコホリック

酔うておる。
アルコホリック。
独りで呑んでるにしては好い酔い方だ。
なんか楽しくて、少し切ない感じが心地好い。
あと鏡の前の笑顔がキモくて、それがなんだか好い。

割と沢山ワインを呑んだ。
一寸良いワインだったので、意外と進んだのだ。
人は、酔うと理性機能が鈍るんだそうだ。
でも今のところ、割と理性的な判断ができそう。
少なくとも適切な仕方でコーヒーを淹れることができるぐらいは。
��アルコールの後のコーヒーは、普段のコーヒーより体にスッと入ってくる気がする。)

あ、でも今からブランダム或はセラーズを読む集中力は確保できそうもない。

もう少し私の理性機能が鈍ったらどうなるのか、一寸興味がある。
然し恐らくアルコールではこれ以上はどうにもならない気がする。
まあ・・・別にどうでもいいけど。

「理性が自分自身の本質の枷になっている」という人間像(或は理性像)がある。
私自身は、まあ間違ってる上に下らない安っぽい人間像だと思うけど。
然し、この人間像には何らかの説得力が無いでもない。
私が或判断を下したり或行為を遂行したり、或は或物語を享受したりするとき、時として、私自身この人間像の一部を無意識的に採用しているということはあり得る。
私の理性機能が鈍ったときどうなるのかについての私の興味は、或はこういう人間像を多少反映しているのかも知れない。
「本当の自分」みたいなものに対する、何らかの憧れのようなものがあるのかも知れない。
このういうふうに「本当の自分」と言うとき、少なくともそれが字義通りに有意味であるということは私自身認められないにせよ、然し何らかのことを意味しようと意図しているのだろう。
人が「本当の自分」という言葉を使用するとき、それはどういう意図を以て為されているのかを上手いこと説明することに一寸興味がある。
が、上手いこと説明したところで余り実りを期待できなさそう。

私の場合、アルコールの影響は寧ろ運動能力に来るっぽい。
よくタイプミスをする。
あとギターが思ったようには弾けなくなるのは好くない。


或友人の話。
私の友人が事故ったそうだ。
不幸中の幸いにして命に別状は無いという話。
心配させやがる。


最近よく思うことの私的言語メモ。
「(或種のジャーゴンとしての)思想」は「哲学」よりも責任が少なくて済む(と「思想」家自身が思っている)ことが、人が「思想」家として自らを同定したがる理由なんじゃないかと疑っている。
ほんとうに下らない傾向だ。