2010/05/27

セラーズがムズいという話

或友人に触発されてセラーズを読み返してみてるんだけど。
曰く、段々人気が出てきてるそうな。

翻訳版(→Amazon)を。
いつかセラーズの話題になったときに正しいタイミングで愛想笑いができる、という程度に思い出せればいいかと思って読み返し始めたんだが。
ちょームズい。
昔もムズかったが、今の私にはブランダムの解説すら全て段落毎に二回は読まないといけない。
一寸ぐらいは解ってると思ってたんだがなあ・・・。
議論の骨組みはなんとなく覚えてるんだけど、一つ一つのテキストを読んでいると、思考が重力感覚を失ったようになる。
セラーズを読むといつも、(哲学的いうよりは俗な意味で)理解するということがどういうことだったのか、覚束なくなって、不安になる。


あと序でに私的メモin私的言語。
全体論的織物の、それぞれのノード同士の繋がりについて、或ノードの内容と他のノードの内容とを横に並べてみたとき、それらの間の整合性が必ずしもとれているとは限らないということを覚えておかないといけない。
「二重思考」のようなことは現実に結構あると思う。
哲学の仕事の一つとして、そういうノードを引っ張り出してきて、横に並べてみて「ほれ、この二つは整合性がとれてない」と指摘し(「暴き出す」という用語が好まれるかも知れない)、そのこんがらがったものを整理して風通しを良くするという仕事があるんじゃないかと。
若しこの風通しを良くするところまでを哲学の仕事として認めるなら、そいつはつまり哲学は倫理学について直接何か言えるということを認めるということにならんかね。
うーん。
未だ足りない。