2010/05/26

観劇、感想、呪い

観劇。

感想その他:
自覚していることだが、今のところ、私が倫理的なことについて、学問の哲学として語れることは、大体受動的で消極的なことばかりだ。
例えば私のプラグマティズムから反権威主義なんかを引き出すことはできるけど、まあせいぜいそこまでだ。
「~せよ」という感じで積極的に具体的な行動を哲学理論が能動的に直接指示したりする、というかいう訳ではない。
メタ倫理学止まりで、倫理学の領域には、学問的哲学としては余り踏み込めていないでいるように感じる。
勿論私の生活上、実際に私自身、意識的或は無意識的に受け入れている倫理学は色々あるんだけれど、それとはまた別の話。
プラグマティズムや可謬主義を引き継ぎながら、メタ倫理学の領域と倫理学の領域とを良い感じに結び付けるような語彙を得ることができれば、結構新しいんじゃないかと。
或はその先を文化とかそういうものに任せて哲学自身はここに留まるべきなのか、もう少し先まで行ってもいいものなのか、という問題も。
問題というかローティの呪いというか。