2008/07/19

デカルトの密室

ここ最近の推理小説マイブームを受けて、「デカルトの密室」(Amazon)を読んでいる。
半分ぐらい読んだ。
今のところ、デネットの「カルテジアン劇場」は出てくるが「意識の多元的草稿モデル(或はその発展形)」とか「志向的スタンス」とかが出てこないので、AI技術者の中で問題が起きているという話。
その話の流れに乗っかって人が死んだりする訳だ。

そりゃ意識を何か「一つのもの」であるかのように考えてしまったら、つまり意識を「一枚のスクリーンに映し出されたもの」であるというような比喩で捉えることばかりに執心てしまったら、問題は一向に解けないし解消されもしないさー。
君は君の心の中に、例えば自分の意識とそれ以外とを正確に区別することができるのか?できるってんなら一寸やってみせよ。
まあそんな訳で、「意識」から「メタ意識」を区別しなくてはならない羽目になる訳だ。

色々心の哲学の話がそこそこ正しい記述を以て出てくるので、初めは「こりゃ心の哲学に興味を持つ大学一回生が読んだらいい本なんじゃないか」と思ったが、読んでるうちに、余り正確とは言えない記述も結構あるし、ウィトゲンシュタインとかの名前は出てくるが例えば前期と後期の区別が曖昧だったり結局名前が出てきてるだけだったりして、若しかしたら余り良い入門書とは言えないかも知れない。
まあ推理小説だし。
まあ然しこの記述の不正確さの内の幾つかは、後半になって正確な記述が登場して問題解消、大団円、となるのかも知れない。

これからどうなるんだろう。
広げた風呂敷を畳み切れるかが見所。
でもなんかフツーにデカルトの諸問題関係無しに「犯人はこいつでこんなトリックでした」的な話になりそうな気もしなくない。
結局最後まで読まねば判るまい。
まあ推理小説だし。


横溝正史も読まなくちゃ。
推理小説はトリックは兎も角、文章の甚だしいのがあって、買ったはいいが文章の甚だしいのに出遭って読む気が削がれるかも知れないと思うと気後れしてしまうのだが、彼のは安心して読める。
推理小説も亦文学也。
文章を練ることを止めた文学などこの私の目に入れるに値しない。