2008/01/28

作られた伝統

伝統は守られた。
最も中身の無い政策(若しそれを「政策」と呼ぶことができたのなら)を掲げた人間が知事に選ばれるという、大阪府の伝統は守られた。
横山ノック。
太田房江。
そして今回。
驚くことに人権派でない弁護士が、一応近代国家である筈のこの日本に堂々と存在できることを自ら名乗って示された御方が、今回当選せられた。
「具体的にどこからそんな金を引っ張ってくるのですか」と訊かれて「財源の中から」と素面で答えられる肝っ玉の持ち主。(記者が質問する毎にその後ろで「おー」とか「うー」とか「そーだ」とか騒いでいた人達はホントに頭がよろしいこって。ところで1984年って知ってる?)
而も更に驚いたことに、大阪府の有権者の、全体の凡そ1/4程度の人達がわざわざその名前を投票用紙に記入することに因って選ばれたのだ。
東京に生まれればそれは日本の中心に生まれたことを意味するのだとお考えでいらっしゃるご様子の、みのもんたさんのやっていらっしゃる、おつむからインテリジェンスが溢れ出てしまっているのを感じさせられるTV番組によると、東京外生命体の大阪人という野蛮な人種はいつもイライラしていて、兎に角急っ勝ちで、1978年の記録という現代最新の記録によると、ニューヨーカーや東京の方々よりも、世界一歩くスピードが速いのだとか謂う話だが、その野卑な大阪人が、こともあろうにわざわざ投票所まで行って投票用紙に名前を書きくさったのだから、そいつは大変なことだ。
彼の間違った私的な自己実現の手助けをする為に。
その為には自分達の生活がどうなったって構わない。
なんて優しいんだ!

何も完全に絶望せよとまでは言わない。
政治というのは、単に政治家や政党支持者や議会の議員だけが携わるだけのものではないし、投票日にだけ、投票という形で市民一般に開かれるだけのものでもない。
政治とは、議会の議席を何席占めることができるかということに関することではない。
いつも言ってることだが。
御上がまともに機能することは、まあ非常に望ましいことだが、というか我々のまともな生活にとって不可欠とも言えなくもないが、そうでないときにも、市民には自らの未来の為に幾らかできることがある。
マスメディアに対して、視聴率やクレーム回避よりも重要なことがあるということや、マスメディアというものが社会に対してどのような責任を持っているのかを、まああの人達は恐らく何も考えてないだろうから、市民の一人一人が自らの問題として考えること然り。
或は兎も角、先ず自らが政治について、或は政治とは何かという問題について、関心を持つこと然り。
そしてそれらのことを表現すること然り。