2013/06/29

文化史的拘束

茶。
前にすっげー上手く点てられたからもう茶はマスターしたぜ・・・と思ったけど、また点ててみると普通だった。
掴んだと思ったけど偶然だった。
まあよくある話。
必要そうな全てをちゃんと理解した訳じゃないのに、そして理解していないということを知っているにも拘らず、「掴んだ」と思ってしまうってのは、日常生活にはよくあることだ。
学問の世界ではこれは許されないと思うんだが、実際には「掴んだ」という思い込みを排除するのは大分ムズい。
況やそれっぽい用語を散りばめただけの、学問の世界に偽装した世界の言説をや。

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アイス。
私は殆どアイスを食べない。
でもたまに売ってるのが美味そうに見えて買ってしまう。
年一ぐらいの頻度で。
現在のところ、冷凍庫の中に去年の抹茶バーと2年前のミルクバーと3年前の雪見大福が保存されている。
どうしよう・・・。

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スマホ。
根拠は無いけど、十分に軽ければ、人間工学的には7インチかそれより少し小さいぐらいのがいいと思うんだ。
特に根拠は無いんだけど。
まあ兎も角、歴史の何かが少し違えばスマホはみんな7インチぐらいになってたんじゃないかなあと思うという程度には、7インチぐらいのが使い易そうな気がする。
でも、「或文化の次の変化はそのとき存在している文化の在り方を無視した突飛なものにはならず、現在の文化に大部分が拘束されるの法則、略して文化史的拘束」(或は文化版ノイラートの船とかでも可)的に、iPhoneぐらいの大きさになってしまってんじゃないかなあ。
なんてことを勝手に思っている。
割りとどうでもいいけど。
あ、因みに「文化史的拘束」とかいう用語は存在しない。多分。