2010/12/14

視点多様性

その哀れな考えの無さに因って、東京都の知事やその取り巻きと議会(の自民、民主、公明の議員)が攻撃している種類の多様性(そしてそれは民主主義がその保障を成立条件としている種類の多様性なのだが)はひとまず置いておくとして。

ギターなどを弾きに行って、それを録音したんだけど。
録音したのを聴くと、もう一寸弾けるようにならんかねと思う。
イマイチ神経が張ってないように聴こえる・・・。
いかんね。
いい時は、ギターを弾いているのであれサッカーをやってるのであれ、その「場」の外側から全体を見渡しているような視点を得ることができる、或はそのような視点に立っているかのような感覚を得ることができ、誰が何を考えているのかについて必要な部分は把握できるものなんだけれど、よくない時は少し視野が狭くなってその瞬間瞬間で見えてないところがでる。
悪いときは自分の出す音のことで精一杯になって「場」への反応が遅れたり手綱を握るべきところで手放してしまったりする訳だ。
演奏技術は相応の練習を積まないと上達しないけれど、こういう種類のアップダウンは肚の据え方で幾らかはなんとかなるところがある(というか肚の据え方を間違うと悪くなり易くなる)。
精神論でどうにかなるものとならないものがあるし、大抵の精神論はどうにかならなかったときの哀れな権威主義者の責任転嫁や言い逃れに過ぎないのだけれど、どうにかなると自分で判っている部分ぐらいはどうにかしたいところだ。