2015/05/11

心脳同一説

例えば、人が或心理状態にあるとき(例えばエロい気分のとき)そしてそのときのみ、その人の脳の状態が必ずAという状態になる、ということが、どうにかこうにか科学的に立証されたとしよう。
このとき「エロい気分」という言葉それ自身が科学の言葉として再記述されていなければならないと私は思うのだけれど、まあそれが仮に可能だったとして、序でにそれをどうやったのかもここでは暫く問わないとしよう。
兎も角、「エロい気分」と脳の状態「A」がこういうふうに関連付けられた訳だ。
さて、脳の状態「A」と「エロい気分」との関係はどういったものなのだろうか。
「エロい気分」とは脳の状態「A」なのだろうか。
これらの問いは科学的には、「エロい気分」の科学的再記述がどのようにされたのかを確認すれば済む話であるように思える。
然しここで民間心理学に戻ってきた場合はどうだろう。
あなたがエロい気分になったとして、今あなたの脳の状態は(「エロい気分」の科学的再記述が適切であったのなら)Aであるに違いないのだが、このときあなたが科学とか特に関係無しに民間心理学的に「私今エロい気分です」と言うことと科学者の立場で「私今脳の状態がAです」と言うこととの間に違いがあるとすれば、それは何だろうか。

ハイここで、脳の外部装置として、一本の棒を開発しました。
この棒は脳の状態をずっとモニタしていて、脳の状態がAになると棒が垂直に立ち、それ以外のときは棒は水平に寝ている。誤動作無し。
そんでこの棒はあなたのおでこにぶっ刺して、もう一生取れないようにしてありますんで。
若し所謂心脳同一説を採るなら、民間心理学的「エロい気分」とはホントウは脳状態「A」のことである。
若しそうなら、このとき、「エロい気分」とはつまりこの棒の状態(立っているか寝ているか)である、ということが同時に言えると考えても別におかしくないんじゃないだろうか。
心脳同一説を採るなら、これ別に違和感無いし、と豪語しなければならないのではないだろうか。

というようなことを風呂の中で寝てて思い付く。
因みに私は「エロい気分」の科学的再記述が必要とか言ってるぐらいなんで、心脳同一説論者ではないです。