2008/05/20

チェリビダッケのベートーヴェン

ヴァイオリンの弦を換える。
ナイロンからスティールへ。
クロムコア?って読むのか?
やっぱサイレントヴァイオリンにはスティール弦の方が合う。


チェリビダッケのベートーヴェンは、腰が重過ぎて私は今まで余り好きではなかったんだが、ちゃんと聴き返すと、ありゃかなりヤバイものだ。

私は前からベートーヴェンの交響曲に関しては、フツーなのがイチバンだと思っていて、メータとかの昔ながらの解り易いロマン派な感じのが好きだったんだけど。
まあ実際にはフツーというのは、私が「普通の人」を殆ど見たことがないように、なかなか希少なのだが。
「普通の人」或は「普通の演奏」という概念を我々は簡単に持つことができるが、実際に「普通の」人だとか「普通の」演奏を探すのは難しいものだ。
それを高いレベルでキッチリやってのけられるメータなんかはもっと評価されてもいいと思うんだけど・・・。

それはまあ、兎も角として、チェリビダッケの。

非常に音響的で、且つ全ての楽器が明確な意図を持っているのが解るように響く。
例えば第九の第四楽章のソリストのフーガ風のとこの二番目のとこ。
全ての音が調和していて、これは他では一寸聴けないだろう。
かなりきっちり細部にわたって統制されている。
それから私はいつもこの部分の最後の方のフォルテで、(譜面上は四声ともフォルテになっているのに)大抵テノールだけがいきなり飛び出してきて不自然に感じていた部分があるのだが、この部分もちゃんと音響的に統制されていて、私はチェリビダッケのを聴いてやっとこの部分が本当はどうなってるのかということを経験的に理解することができた。

休符が緩くてスピード感に欠けていて重いし、音が冷静で醒めてるし、実際にテンポもかなり遅く、ブルックナーならそれで完璧なんだけど、だからといってベートーヴェンでも同じようにしなくても、というぐらいに思っていたのだけど、今日ちゃんと聴き返して脳味噌と鼻の奥辺りをエグられて、これは一つの正しい在り方なんだと、考えを変えた。