2008/05/19

エンチャンター

現代において、どストレートな意味で「私、魔法使いです」とか「私、奇跡を起こせます」とか言うことは、なんだか奇妙だ。
魔法やら奇跡やらが普通に考えて真面目に扱われるようなものではない、ということがその一つの理由ではあるのだが、何か他にもやもやしたものがあるような気がする。
というのは、魔法使いを自称する人は、魔法使いを自認してるぐらいなんだから、どのようにしてその「魔法」の現象が発生するのかも知ってるんじゃないかと。
言い換えると、どのようにしてその「魔法」現象が発生するかも知らなければ、その自称魔法使いはその現象の原因を自分に帰すことはできないんじゃないかと。
例えば「私が念じればこの鉛筆が空中に浮く。なんでだか能く解んねーんだけど。」という場合、この人は自分を魔法使いだと思うだろうか。
或は、こう言ってる人について、我々は普通、「この人は自分を「魔法使い」だと考えるだろう」と考えるだろうか。
なんか、現代における「魔法」という言葉は、一面的には、「魔法」現象とその原因との間に因果関係があることを認めなければ「魔法」とは呼べない気がするし、「魔法使い」は、その因果関係がどういったものなのか知っていなければならない、という気がする。
で、若しここまでのことが正しいとして、自称魔法使いが自らの意志で或「魔法」現象を発生させ、そしてそのときこの自称魔法使いはどのようにしてその「魔法」現象が発生したのか、自分の意志或は行為とその「魔法」現象との因果関係がどういったものなのかを知っているとすれば、この自称魔法使いは、現代において、それを本当に「魔法」だと考えるだろうか。
つまり、或ことと在ることとの間の因果関係がどういったものなのかを知っていることを「それは魔法だ」と考えることは、「魔法」という言葉の現代における使用法に反するのではないだろうか・・・。

ということを、今思い付いた。
なんか上手く説明できない・・・。


そういや昨日、京都で、ミャンマーのハリケーンと中国の地震とに対する義援金を募ってたのだが、その金は、ミャンマーについては、どうやって使うつもりなんだろう?