2008/05/10

心脳同一説

「心は(スゴい高性能な)コンピュータでシミュレーション可能だ」という主張が含意するところには、現実的には、二種類あるように思える。
一つは、人間の脳の物理的構造は物理的振る舞いと身体の物理的構造や物理的振る舞いをコンピュータプログラム上でちゃんと再現できたとすれば、人はその再現されたものに心があると考える筈だし、心とはそういったものなのだ、というもの。
もう一つは、我々が「心」と呼んでいるものは、実際には脳(或は脳の物理的振る舞い)という物理的なものでしかないので、脳の物理的振る舞い(或はニューロンの電気的振る舞い)をコンピュータでシミュレーションできるとすれば、それは心をシミュレーションしているということなのだ、というもの。
この二つは全く別の主張であることに注意され度し。
普通は前者のようなものをシミュレーショニズムと呼ぶんだと思うが、それが後者のような心脳同一説とビミョウに混ざってしまうと、おかしなことになる訳だ。

とか。

デネットの悪いところは、現在は兎も角として、最終的には、一つの仕方、つまり物理学の言葉で全てが説明できるようになるように哲学者は努力すべきだ、と考えている、という点だ。
この、見た目に比べて実際には結構強い物理主義(自分では「メチャクチャ緩やかな物理主義」と呼んでいたと思う)の所為で、彼の哲学は無駄に面倒臭くなってしまっている。
物理学の言葉で説明する必要の無いことと物理法則に反することとの違いをはっきりさせておくべきだ。

とか。

政治的多元主義は言うまでもなく、哲学的多元主義も必要だ。

というようなことを風呂の中でぼんやり考えたような夢を見た気がする。