楽器の上達のコツは、一つには、ゆっくり正確に弾く練習に加え、思い切って勢いで弾き切る練習もすることだ。
チマチマやってたんじゃどうにもならない。
そこでサイレントヴァイオリンな訳だ。
普通のヴァイオリンでは、音が大き過ぎて、日が暮れるとガンガン弾くことはできない。
その点サイレントヴァイオリンは夜中でも弾けるし、更にミュートを付ければ窓を開けていても大丈夫!
ソリッドボディのエレキギターの生音ぐらいの音量かと。
が。
然し。
だからといって私のヴァイオリンの腕があがるという訳ではないようだ・・・。
2008/05/30
心脳ジャンプ
我々は、例えば自分が悲しいと感じたときにはいつも自分の胸ポケットにペンが刺さっていたからといって、胸ポケットにペンが刺さっていることと悲しいこととを、普通は関連付けて考えたりしない訳だ。
然し或種の脳波や脳内の血流量の変化などを見て、例えばその人が集中してるかぼんやりしてるかといったことぐらいは判る、と我々は普通考えている訳だ。
多分我々は、普通、たとえ物理主義者や心脳同一説の論者であったも、実際には脳の物理的状態と心的状態とを端的に結びつけて考えてるんじゃないんじゃないか。
と思ったり思わなかったり。
心的状態の民間心理学的記述を物理学の言葉で(まあ還元的に、とまでは言わないが)かなりがっちり分析(或は翻訳)できる程、現在のところ脳科学やら実験機材やらが進歩していないので、脳の状態を見て心の状態が殆ど判るような人は未だ居ない訳だ。
然し、我々の中に脳と心との間に何らかの関係があることを疑う者はいないだろう。
ここにジャンプがある訳だ。
このジャンプの仕方はどうしたらいいのかということで、哲学者達が日夜議論を交わしている、そういう種類のジャンプがある訳だ。
この我々がいつもしているジャンプが、一体どういうものなのかについて詳細に記述することができれば、何か一つ面白いことが言えそうな気がする。
多分このジャンプは、実際のところ、例えば物理主義者や心脳同一論者達が自認しているよりも、そんな単純な代物ではないんじゃないだろうか。
と、昔いつも思っていたことを風呂の中で思い出した。
然し或種の脳波や脳内の血流量の変化などを見て、例えばその人が集中してるかぼんやりしてるかといったことぐらいは判る、と我々は普通考えている訳だ。
多分我々は、普通、たとえ物理主義者や心脳同一説の論者であったも、実際には脳の物理的状態と心的状態とを端的に結びつけて考えてるんじゃないんじゃないか。
と思ったり思わなかったり。
心的状態の民間心理学的記述を物理学の言葉で(まあ還元的に、とまでは言わないが)かなりがっちり分析(或は翻訳)できる程、現在のところ脳科学やら実験機材やらが進歩していないので、脳の状態を見て心の状態が殆ど判るような人は未だ居ない訳だ。
然し、我々の中に脳と心との間に何らかの関係があることを疑う者はいないだろう。
ここにジャンプがある訳だ。
このジャンプの仕方はどうしたらいいのかということで、哲学者達が日夜議論を交わしている、そういう種類のジャンプがある訳だ。
この我々がいつもしているジャンプが、一体どういうものなのかについて詳細に記述することができれば、何か一つ面白いことが言えそうな気がする。
多分このジャンプは、実際のところ、例えば物理主義者や心脳同一論者達が自認しているよりも、そんな単純な代物ではないんじゃないだろうか。
と、昔いつも思っていたことを風呂の中で思い出した。
2008/05/28
原油高
私に必要なものがやっと判った。
有酸素運動だ。
しばらく自転車をこぎ続けると、次の日、脳と体の調子が良い。
そういや最近の原油高(或はガソリン高)の報道において、原油高とイラク戦争との関係について言及しているのを私は観たことがないのだが。
我々の国が、アメリカを窘めるどころか「後方背支援」の名目で参戦しているところのイラク戦争との関係。
私が余りテレビを観ない所為で見逃しているのか。
或は余りに当たり前のことで言うまでもないということか。
然し普通の人にとっては、原油高とイラク戦争との結びつきは、9.11(チリじゃない方)とサダムフセインとを結びつけたようなぼんやりとしたイメージでしか結びついていないんじゃないかと思うんだけどなあ。
あっても精々例の暫定税率の話ばかりだ。
そういやなんでかなあ、と疑問に思った。
序でに。
そういや最近のテレビで流行のネット叩きケータイ叩きは、ホリエモンの買収騒動の反動とか情報産業シェア(?)のようなものをネットやケータイに奪われつつあることへのテレビ業界の不安感の表れだろうか。
非常に悪趣味なのをよく最近目にするようになったのだが。
なにかにつけて、ケータイやらネットやらを結びつけたがるように見える。
而も理路整然と明示的にというよりは、なんとなくの悪いイメージだけ暗示的に結びつけているように見える。
まあこれは私の印象に過ぎないので、実際のところどうなのかなんてことは能く解らんのだが。
これは間違った関連付けだろうか。
確かにこういった種類のマスメディアの悪趣味な振る舞いは今に始まったことではない。
何に牙を剥くか判らない。
私の目が疑念で曇って了っているのだろうか。
或は買収に反抗するときに見せた理念らしきものとは逆に、所詮はテレビ局も単なる営利企業に過ぎなかったということだろうか。
それは兎も角として。
我々は・・・上手く言えないが、バブルや昨今の政治にまつわる責任(或は呪い)だけでなく、マスメディアの責任までおっ被っていると最近感じる。
あの人達が見せかけの中立性で自らの発言に関する責任から逃れようとするのとは対照的に。
有酸素運動だ。
しばらく自転車をこぎ続けると、次の日、脳と体の調子が良い。
そういや最近の原油高(或はガソリン高)の報道において、原油高とイラク戦争との関係について言及しているのを私は観たことがないのだが。
我々の国が、アメリカを窘めるどころか「後方背支援」の名目で参戦しているところのイラク戦争との関係。
私が余りテレビを観ない所為で見逃しているのか。
或は余りに当たり前のことで言うまでもないということか。
然し普通の人にとっては、原油高とイラク戦争との結びつきは、9.11(チリじゃない方)とサダムフセインとを結びつけたようなぼんやりとしたイメージでしか結びついていないんじゃないかと思うんだけどなあ。
あっても精々例の暫定税率の話ばかりだ。
そういやなんでかなあ、と疑問に思った。
序でに。
そういや最近のテレビで流行のネット叩きケータイ叩きは、ホリエモンの買収騒動の反動とか情報産業シェア(?)のようなものをネットやケータイに奪われつつあることへのテレビ業界の不安感の表れだろうか。
非常に悪趣味なのをよく最近目にするようになったのだが。
なにかにつけて、ケータイやらネットやらを結びつけたがるように見える。
而も理路整然と明示的にというよりは、なんとなくの悪いイメージだけ暗示的に結びつけているように見える。
まあこれは私の印象に過ぎないので、実際のところどうなのかなんてことは能く解らんのだが。
これは間違った関連付けだろうか。
確かにこういった種類のマスメディアの悪趣味な振る舞いは今に始まったことではない。
何に牙を剥くか判らない。
私の目が疑念で曇って了っているのだろうか。
或は買収に反抗するときに見せた理念らしきものとは逆に、所詮はテレビ局も単なる営利企業に過ぎなかったということだろうか。
それは兎も角として。
我々は・・・上手く言えないが、バブルや昨今の政治にまつわる責任(或は呪い)だけでなく、マスメディアの責任までおっ被っていると最近感じる。
あの人達が見せかけの中立性で自らの発言に関する責任から逃れようとするのとは対照的に。
2008/05/27
2008/05/26
ワックスかける、ワックスとる
どうも髪を洗っても整髪料が完全には落ちてない気がする。
髪に指を通す度に、指の間に薄く蝋を塗ったようになる。
或はワックスをかけたような。
ここのところずっとだ。
髪もパサパサしてるし。
もっと強力な洗髪料が要るのか。
でもなんか最近ガッツリ系の洗髪料って余り売ってないような気がする・・・。
髪に指を通す度に、指の間に薄く蝋を塗ったようになる。
或はワックスをかけたような。
ここのところずっとだ。
髪もパサパサしてるし。
もっと強力な洗髪料が要るのか。
でもなんか最近ガッツリ系の洗髪料って余り売ってないような気がする・・・。
2008/05/24
2008/05/23
2008/05/22
18%
なんか六月ぐらいになると色々と魅力的な新商品が出そうで恐ろしい。
ATOMが出たら低価格PCとか買ってしまいそうだし、iPhonも出そうでやばい。
そろそろメインマシンも替えたい気もしなくもないし。
煩悩にまみれてるぜ!
買えないけど。
やっぱ宝くじか・・・。
10枚3000円もするのか・・・。
そういや政府が基礎年金を税金で賄うとしたら消費税が何%になるのかの試算をやってみたそうだが、その試算によると、年金を一律支給して更に既に年金を納付した実績のあるひとはそれに応じて幾らか増額する、という場合で消費税が18%ぐらいになるそうだ。
多くて18%。
まあどういう計算をしてるのか、私は詳細を見てないので判らないのだが、私は「18%でいいのか」という感想を持った。
適当に新聞など眺めてる感じでは、消費税率の増率に因る個人消費の減少或は経済全体の停滞分とか計算に入れてないような気がする・・・。
どっかに「消費税率1%につきナン兆円で計算すると」的なことが書いてあった気がする。
奇妙な競争原理に自ら身を置いてテンポラリーな人気取りに必死なマスメディアでは、消費税が多少上がることにも殆ど「そんなん払えるかー」とか「国民の理解が得られるだろうか(反語)」的な意見しか報道されていないが、私は18%という数字を「思ったより安い」と感じたのだが。
今の日本のマスメディアが「国民の理解」とかいう言葉を使うとアンニュイな気分になる。
消費税の増税は所得税等の累進っぷりをもっと増やすことの次ぐらいに良い案だと思うのだが。
取り敢えず既に十分持っていてる或はこれからのアテもある御方はいざ知らず、今から積み立てていった分を大分後からもらわないと不可ない我々富裕層でない若人にとっては、社会保険やら年金ってのは死ぬ程大事なものなのだ。
貧しければ貧しい程。
エラい人にはそれが解らんのです。
特にその人が既に十分持っていて、それを更に増やすことに躍起になっているときには。
序でに消費税率を上げるときは、所得の低い老人により多く分配する仕組みを考えるといい。
あと税の収支がもう一寸クリアになると更によろしい。
これが最も重要か。
色々思うところはあるが、もう眠い・・・。
いつもの言いっ放しで。
ATOMが出たら低価格PCとか買ってしまいそうだし、iPhonも出そうでやばい。
そろそろメインマシンも替えたい気もしなくもないし。
煩悩にまみれてるぜ!
買えないけど。
やっぱ宝くじか・・・。
10枚3000円もするのか・・・。
そういや政府が基礎年金を税金で賄うとしたら消費税が何%になるのかの試算をやってみたそうだが、その試算によると、年金を一律支給して更に既に年金を納付した実績のあるひとはそれに応じて幾らか増額する、という場合で消費税が18%ぐらいになるそうだ。
多くて18%。
まあどういう計算をしてるのか、私は詳細を見てないので判らないのだが、私は「18%でいいのか」という感想を持った。
適当に新聞など眺めてる感じでは、消費税率の増率に因る個人消費の減少或は経済全体の停滞分とか計算に入れてないような気がする・・・。
どっかに「消費税率1%につきナン兆円で計算すると」的なことが書いてあった気がする。
奇妙な競争原理に自ら身を置いてテンポラリーな人気取りに必死なマスメディアでは、消費税が多少上がることにも殆ど「そんなん払えるかー」とか「国民の理解が得られるだろうか(反語)」的な意見しか報道されていないが、私は18%という数字を「思ったより安い」と感じたのだが。
今の日本のマスメディアが「国民の理解」とかいう言葉を使うとアンニュイな気分になる。
消費税の増税は所得税等の累進っぷりをもっと増やすことの次ぐらいに良い案だと思うのだが。
取り敢えず既に十分持っていてる或はこれからのアテもある御方はいざ知らず、今から積み立てていった分を大分後からもらわないと不可ない我々富裕層でない若人にとっては、社会保険やら年金ってのは死ぬ程大事なものなのだ。
貧しければ貧しい程。
エラい人にはそれが解らんのです。
特にその人が既に十分持っていて、それを更に増やすことに躍起になっているときには。
序でに消費税率を上げるときは、所得の低い老人により多く分配する仕組みを考えるといい。
あと税の収支がもう一寸クリアになると更によろしい。
これが最も重要か。
色々思うところはあるが、もう眠い・・・。
いつもの言いっ放しで。
2008/05/20
チェリビダッケのベートーヴェン
ヴァイオリンの弦を換える。
ナイロンからスティールへ。
クロムコア?って読むのか?
やっぱサイレントヴァイオリンにはスティール弦の方が合う。
チェリビダッケのベートーヴェンは、腰が重過ぎて私は今まで余り好きではなかったんだが、ちゃんと聴き返すと、ありゃかなりヤバイものだ。
私は前からベートーヴェンの交響曲に関しては、フツーなのがイチバンだと思っていて、メータとかの昔ながらの解り易いロマン派な感じのが好きだったんだけど。
まあ実際にはフツーというのは、私が「普通の人」を殆ど見たことがないように、なかなか希少なのだが。
「普通の人」或は「普通の演奏」という概念を我々は簡単に持つことができるが、実際に「普通の」人だとか「普通の」演奏を探すのは難しいものだ。
それを高いレベルでキッチリやってのけられるメータなんかはもっと評価されてもいいと思うんだけど・・・。
それはまあ、兎も角として、チェリビダッケの。
非常に音響的で、且つ全ての楽器が明確な意図を持っているのが解るように響く。
例えば第九の第四楽章のソリストのフーガ風のとこの二番目のとこ。
全ての音が調和していて、これは他では一寸聴けないだろう。
かなりきっちり細部にわたって統制されている。
それから私はいつもこの部分の最後の方のフォルテで、(譜面上は四声ともフォルテになっているのに)大抵テノールだけがいきなり飛び出してきて不自然に感じていた部分があるのだが、この部分もちゃんと音響的に統制されていて、私はチェリビダッケのを聴いてやっとこの部分が本当はどうなってるのかということを経験的に理解することができた。
休符が緩くてスピード感に欠けていて重いし、音が冷静で醒めてるし、実際にテンポもかなり遅く、ブルックナーならそれで完璧なんだけど、だからといってベートーヴェンでも同じようにしなくても、というぐらいに思っていたのだけど、今日ちゃんと聴き返して脳味噌と鼻の奥辺りをエグられて、これは一つの正しい在り方なんだと、考えを変えた。
ナイロンからスティールへ。
クロムコア?って読むのか?
やっぱサイレントヴァイオリンにはスティール弦の方が合う。
チェリビダッケのベートーヴェンは、腰が重過ぎて私は今まで余り好きではなかったんだが、ちゃんと聴き返すと、ありゃかなりヤバイものだ。
私は前からベートーヴェンの交響曲に関しては、フツーなのがイチバンだと思っていて、メータとかの昔ながらの解り易いロマン派な感じのが好きだったんだけど。
まあ実際にはフツーというのは、私が「普通の人」を殆ど見たことがないように、なかなか希少なのだが。
「普通の人」或は「普通の演奏」という概念を我々は簡単に持つことができるが、実際に「普通の」人だとか「普通の」演奏を探すのは難しいものだ。
それを高いレベルでキッチリやってのけられるメータなんかはもっと評価されてもいいと思うんだけど・・・。
それはまあ、兎も角として、チェリビダッケの。
非常に音響的で、且つ全ての楽器が明確な意図を持っているのが解るように響く。
例えば第九の第四楽章のソリストのフーガ風のとこの二番目のとこ。
全ての音が調和していて、これは他では一寸聴けないだろう。
かなりきっちり細部にわたって統制されている。
それから私はいつもこの部分の最後の方のフォルテで、(譜面上は四声ともフォルテになっているのに)大抵テノールだけがいきなり飛び出してきて不自然に感じていた部分があるのだが、この部分もちゃんと音響的に統制されていて、私はチェリビダッケのを聴いてやっとこの部分が本当はどうなってるのかということを経験的に理解することができた。
休符が緩くてスピード感に欠けていて重いし、音が冷静で醒めてるし、実際にテンポもかなり遅く、ブルックナーならそれで完璧なんだけど、だからといってベートーヴェンでも同じようにしなくても、というぐらいに思っていたのだけど、今日ちゃんと聴き返して脳味噌と鼻の奥辺りをエグられて、これは一つの正しい在り方なんだと、考えを変えた。
2008/05/19
エンチャンター
現代において、どストレートな意味で「私、魔法使いです」とか「私、奇跡を起こせます」とか言うことは、なんだか奇妙だ。
魔法やら奇跡やらが普通に考えて真面目に扱われるようなものではない、ということがその一つの理由ではあるのだが、何か他にもやもやしたものがあるような気がする。
というのは、魔法使いを自称する人は、魔法使いを自認してるぐらいなんだから、どのようにしてその「魔法」の現象が発生するのかも知ってるんじゃないかと。
言い換えると、どのようにしてその「魔法」現象が発生するかも知らなければ、その自称魔法使いはその現象の原因を自分に帰すことはできないんじゃないかと。
例えば「私が念じればこの鉛筆が空中に浮く。なんでだか能く解んねーんだけど。」という場合、この人は自分を魔法使いだと思うだろうか。
或は、こう言ってる人について、我々は普通、「この人は自分を「魔法使い」だと考えるだろう」と考えるだろうか。
なんか、現代における「魔法」という言葉は、一面的には、「魔法」現象とその原因との間に因果関係があることを認めなければ「魔法」とは呼べない気がするし、「魔法使い」は、その因果関係がどういったものなのか知っていなければならない、という気がする。
で、若しここまでのことが正しいとして、自称魔法使いが自らの意志で或「魔法」現象を発生させ、そしてそのときこの自称魔法使いはどのようにしてその「魔法」現象が発生したのか、自分の意志或は行為とその「魔法」現象との因果関係がどういったものなのかを知っているとすれば、この自称魔法使いは、現代において、それを本当に「魔法」だと考えるだろうか。
つまり、或ことと在ることとの間の因果関係がどういったものなのかを知っていることを「それは魔法だ」と考えることは、「魔法」という言葉の現代における使用法に反するのではないだろうか・・・。
ということを、今思い付いた。
なんか上手く説明できない・・・。
そういや昨日、京都で、ミャンマーのハリケーンと中国の地震とに対する義援金を募ってたのだが、その金は、ミャンマーについては、どうやって使うつもりなんだろう?
魔法やら奇跡やらが普通に考えて真面目に扱われるようなものではない、ということがその一つの理由ではあるのだが、何か他にもやもやしたものがあるような気がする。
というのは、魔法使いを自称する人は、魔法使いを自認してるぐらいなんだから、どのようにしてその「魔法」の現象が発生するのかも知ってるんじゃないかと。
言い換えると、どのようにしてその「魔法」現象が発生するかも知らなければ、その自称魔法使いはその現象の原因を自分に帰すことはできないんじゃないかと。
例えば「私が念じればこの鉛筆が空中に浮く。なんでだか能く解んねーんだけど。」という場合、この人は自分を魔法使いだと思うだろうか。
或は、こう言ってる人について、我々は普通、「この人は自分を「魔法使い」だと考えるだろう」と考えるだろうか。
なんか、現代における「魔法」という言葉は、一面的には、「魔法」現象とその原因との間に因果関係があることを認めなければ「魔法」とは呼べない気がするし、「魔法使い」は、その因果関係がどういったものなのか知っていなければならない、という気がする。
で、若しここまでのことが正しいとして、自称魔法使いが自らの意志で或「魔法」現象を発生させ、そしてそのときこの自称魔法使いはどのようにしてその「魔法」現象が発生したのか、自分の意志或は行為とその「魔法」現象との因果関係がどういったものなのかを知っているとすれば、この自称魔法使いは、現代において、それを本当に「魔法」だと考えるだろうか。
つまり、或ことと在ることとの間の因果関係がどういったものなのかを知っていることを「それは魔法だ」と考えることは、「魔法」という言葉の現代における使用法に反するのではないだろうか・・・。
ということを、今思い付いた。
なんか上手く説明できない・・・。
そういや昨日、京都で、ミャンマーのハリケーンと中国の地震とに対する義援金を募ってたのだが、その金は、ミャンマーについては、どうやって使うつもりなんだろう?
2008/05/18
2008/05/16
2008/05/14
2008/05/12
部屋とMacの整理
部屋を片付けた・・・。
机の上だけ片付けるつもりが、机の上のものを収納するスペースが無いことが判明し、そのスペースをどうにか遣り繰りすることから始めなければならず、結局部屋全体を整理しなければならなくなった。
やれやれだぜ!
本が多過ぎる!
而も読み終わってない本が!
読んでない漫画も!
段ボールに入れるにも入れられない。
CDは既に飽和しているし。
もう暫くは何も買うまい。
やっぱ時代は電子化だよ・・・。
Macの中身も整理する。
てゆうかMacPortの中身。
百何十件ものパッケージが入ってたので、依存関係が複雑になってる所為か、なんかアップデートにどうしても失敗するものもちょくちょくでてきていて、なんだか鬱陶しいので一度全てアンインストールして、必要そうなものだけ厳選してインストールする。
厳選の結果、取り敢えずGimp.appとMacFuseだけインストールすることに。
これらは他のパッケージに依存しないので、インストールされるのはこの二件だけ。
大分スリムになった。
やれやれだぜ・・・。
これだけだとMacPortで管理する必要も無い気がするが。
机の上だけ片付けるつもりが、机の上のものを収納するスペースが無いことが判明し、そのスペースをどうにか遣り繰りすることから始めなければならず、結局部屋全体を整理しなければならなくなった。
やれやれだぜ!
本が多過ぎる!
而も読み終わってない本が!
読んでない漫画も!
段ボールに入れるにも入れられない。
CDは既に飽和しているし。
もう暫くは何も買うまい。
やっぱ時代は電子化だよ・・・。
Macの中身も整理する。
てゆうかMacPortの中身。
百何十件ものパッケージが入ってたので、依存関係が複雑になってる所為か、なんかアップデートにどうしても失敗するものもちょくちょくでてきていて、なんだか鬱陶しいので一度全てアンインストールして、必要そうなものだけ厳選してインストールする。
厳選の結果、取り敢えずGimp.appとMacFuseだけインストールすることに。
これらは他のパッケージに依存しないので、インストールされるのはこの二件だけ。
大分スリムになった。
やれやれだぜ・・・。
これだけだとMacPortで管理する必要も無い気がするが。
2008/05/10
心脳同一説
「心は(スゴい高性能な)コンピュータでシミュレーション可能だ」という主張が含意するところには、現実的には、二種類あるように思える。
一つは、人間の脳の物理的構造は物理的振る舞いと身体の物理的構造や物理的振る舞いをコンピュータプログラム上でちゃんと再現できたとすれば、人はその再現されたものに心があると考える筈だし、心とはそういったものなのだ、というもの。
もう一つは、我々が「心」と呼んでいるものは、実際には脳(或は脳の物理的振る舞い)という物理的なものでしかないので、脳の物理的振る舞い(或はニューロンの電気的振る舞い)をコンピュータでシミュレーションできるとすれば、それは心をシミュレーションしているということなのだ、というもの。
この二つは全く別の主張であることに注意され度し。
普通は前者のようなものをシミュレーショニズムと呼ぶんだと思うが、それが後者のような心脳同一説とビミョウに混ざってしまうと、おかしなことになる訳だ。
とか。
デネットの悪いところは、現在は兎も角として、最終的には、一つの仕方、つまり物理学の言葉で全てが説明できるようになるように哲学者は努力すべきだ、と考えている、という点だ。
この、見た目に比べて実際には結構強い物理主義(自分では「メチャクチャ緩やかな物理主義」と呼んでいたと思う)の所為で、彼の哲学は無駄に面倒臭くなってしまっている。
物理学の言葉で説明する必要の無いことと物理法則に反することとの違いをはっきりさせておくべきだ。
とか。
政治的多元主義は言うまでもなく、哲学的多元主義も必要だ。
というようなことを風呂の中でぼんやり考えたような夢を見た気がする。
一つは、人間の脳の物理的構造は物理的振る舞いと身体の物理的構造や物理的振る舞いをコンピュータプログラム上でちゃんと再現できたとすれば、人はその再現されたものに心があると考える筈だし、心とはそういったものなのだ、というもの。
もう一つは、我々が「心」と呼んでいるものは、実際には脳(或は脳の物理的振る舞い)という物理的なものでしかないので、脳の物理的振る舞い(或はニューロンの電気的振る舞い)をコンピュータでシミュレーションできるとすれば、それは心をシミュレーションしているということなのだ、というもの。
この二つは全く別の主張であることに注意され度し。
普通は前者のようなものをシミュレーショニズムと呼ぶんだと思うが、それが後者のような心脳同一説とビミョウに混ざってしまうと、おかしなことになる訳だ。
とか。
デネットの悪いところは、現在は兎も角として、最終的には、一つの仕方、つまり物理学の言葉で全てが説明できるようになるように哲学者は努力すべきだ、と考えている、という点だ。
この、見た目に比べて実際には結構強い物理主義(自分では「メチャクチャ緩やかな物理主義」と呼んでいたと思う)の所為で、彼の哲学は無駄に面倒臭くなってしまっている。
物理学の言葉で説明する必要の無いことと物理法則に反することとの違いをはっきりさせておくべきだ。
とか。
政治的多元主義は言うまでもなく、哲学的多元主義も必要だ。
というようなことを風呂の中でぼんやり考えたような夢を見た気がする。
2008/05/09
2008/05/07
2008/05/06
2008/05/05
2008/05/04
PLAYTECH
PLAYTECHのちょー安いベース
を手に入れた。
ジャズベモデルだけど、ネックがプレシジョンぐらい太い。
ネックが普通のジャズベぐらいに細いことを期待して買ったのに・・・。
やっぱ生楽器は通販で買うのには向いてないな。
ピックアップを固定しているネジが緩んでたり、ヴォリュームポットのマークが不自然な方を向いてたり、ペグがしょぼかったり、フレットが一本ビミョウに低かったり、ブリッジの駒の高さ調整用のネジの六角穴の精度が悪くて六角レンチが非常に入り難いものがあったり、ノイズもある程度乗ったりするが、まあこんなもんだろう。
そんな訳で、初心者というよりは、お遊び用が一本欲しい、という人向けなんだろう。
初心者はもう一寸良いものを買った方が良い。
音は比較的軽めで、普通に使えるレベルにある。
私は早速フラットワウンド弦に交換して、少し歪ませて70年代ロック風の音に。
あとは、フレットをブッコ抜くべきかどうかが問題だ。
フレットレス弾けるかなあ・・・。
ピックガードの材質がペイントしやすそうな材質だ・・・。
やばいな、またやっちまいそうだ。
序でにストラト用にFenderのロック式ペグ
も買っておいた。
3本が背の低いタイプで残りの3本が背の高いタイプというビミョウな組み合わせ。
これ本当にこれで合ってんのか?
気持ち悪いなあ。
取り敢えず、高音弦3本に背の低いタイプを割り当てているのだけれど、どうも見た目とテンションのバランスが悪い。
3、4弦にもストリングガイドを取り付けてみたり1、2弦のストリングガイドを通さないようにするなど色々試行錯誤するも、どうもパッとしない。
やっぱ普通に、私御用達のシュパーゼルのにしときゃよかったか。
シュパーゼルはよいよ・・・。
てゆうか私は6本全て背の低いタイプが好いのだが。
あとはコネクタ類やおもちゃのハーモニカなど、同時に手に入れる。
ジャズベモデルだけど、ネックがプレシジョンぐらい太い。
ネックが普通のジャズベぐらいに細いことを期待して買ったのに・・・。
やっぱ生楽器は通販で買うのには向いてないな。
ピックアップを固定しているネジが緩んでたり、ヴォリュームポットのマークが不自然な方を向いてたり、ペグがしょぼかったり、フレットが一本ビミョウに低かったり、ブリッジの駒の高さ調整用のネジの六角穴の精度が悪くて六角レンチが非常に入り難いものがあったり、ノイズもある程度乗ったりするが、まあこんなもんだろう。
そんな訳で、初心者というよりは、お遊び用が一本欲しい、という人向けなんだろう。
初心者はもう一寸良いものを買った方が良い。
音は比較的軽めで、普通に使えるレベルにある。
私は早速フラットワウンド弦に交換して、少し歪ませて70年代ロック風の音に。
あとは、フレットをブッコ抜くべきかどうかが問題だ。
フレットレス弾けるかなあ・・・。
ピックガードの材質がペイントしやすそうな材質だ・・・。
やばいな、またやっちまいそうだ。
序でにストラト用にFenderのロック式ペグ
3本が背の低いタイプで残りの3本が背の高いタイプというビミョウな組み合わせ。
これ本当にこれで合ってんのか?
気持ち悪いなあ。
取り敢えず、高音弦3本に背の低いタイプを割り当てているのだけれど、どうも見た目とテンションのバランスが悪い。
3、4弦にもストリングガイドを取り付けてみたり1、2弦のストリングガイドを通さないようにするなど色々試行錯誤するも、どうもパッとしない。
やっぱ普通に、私御用達のシュパーゼルのにしときゃよかったか。
シュパーゼルはよいよ・・・。
てゆうか私は6本全て背の低いタイプが好いのだが。
あとはコネクタ類やおもちゃのハーモニカなど、同時に手に入れる。
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