2007/10/11

縮める

一仕事終えて帰ってきて、うつらうつらとふと目を閉じて、開けると、この時間。
一日が終わる。
私の人生の縮図のような一日。


風邪気味。


犯罪の被害者が報われないという理由で死刑制度にコミットしたり死刑を奨励する者は誰でも仇討ちを現在に復活させることを認めるべきだ。
或は自分がテレビの視聴率稼ぎに踊らされているだけだということを自覚すべきだ。
犯罪被害者は保障されるべきだが、それは犯罪を犯した者を殺すことによって為されるべきではない。

ということと

政治とは単にどこかの政党を応援するだけのことではないし、ましてや単に議会の席取り合戦の為に投票用紙に名前を書いたりして席取り合戦に参加したりするだけのことでもない。
人間の社会における実に多くの活動が政治的なものとして認められ得る。
政党に参加していないからといって、或は自分の応援する政党が議会で過半数の議席を持っていないからといって、自分が政治に参加できていないと考えて自らを政治から疎外してしまって政治的に絶望する必要は全く無い。
ひとつには沖縄を見よ。
或は例えば、Windowsの仮想化に対するマイクロソフトの態度に異議を唱えてブログに書くことさえ、政治的態度をとっていると言える。
「クール」にノンポリをキメようとも、それは単に自分が頭が悪いということか、或は支持する政党が無いという程度のことしか意味することができない。

ということと

企業が利益を追求するものであるということは倫理に関する文脈においては殆ど何の意味も持たない。
少なくとも、企業が利益を追求して倫理に外れる振る舞いをしたとしても、企業が利益を追求するものであるということは倫理に関して何の言い訳にもならない。

ということと

「美しく在れ」「美しく在ろうとせよ」ってのは、そりゃそうだ。
但し「美しい」が何を意味するのかとか、何を以て「美しい」という語がまともなものとして扱われるのか、ということは十分に議論される必要はあるが。
芸術の誕生だ。

ということをまるっとまとめるような筋の通った気の利いた説明を風呂の中で思いついたような気がしたのだが、忘れた。
脳の奴め。