選挙か。
昼頃、箕面方面に、何故かやや緊張気味の声で「桂きん枝です・・・、桂きん枝です・・・、がんばります」的なことを大音量で只管繰り返す街宣車が通る。
この時期だから・・・選挙か?
きん枝がか?
然し選挙にしては、まあ政見は最早期待できそうもないにしても、党名も「この度参議委員選挙に立候補致しました・・・」的な文句も無し。
選挙活動じゃないのかなあ・・・。
ということは、「只大音量で候補者名や政党名を繰り返すだけの選挙活動とは名ばかりの、政治的に価値の無い、騒音公害としての選挙カー」を皮肉る活動とか?
選挙に出馬した人の名前や政党名を只管大音量で繰り返すことは、選挙に出馬する訳でもない人とか団体とかが、この機に只管自分の名前だとか団体名だとかを大音量で繰り返すことと同じこと(つまり同じぐらい馬鹿げたこと)だ、ということを表現しているのか?
それなら納得できる。
そういう皮肉は嫌いじゃない。
上手くやればアートと呼べるようなものにまでなるかも知れない、とすら思う。
そうだ。
選挙に時期には、大勢で自分(或は自分の好きなミュージシャンの名前でもいい)の名前とか所属してるサッカークラブ(或は自分の嫌いな食べ物)の名前だとかを大音量で繰り返したら、面白いんじゃね?
それで街宣車の後ろをぞろぞろついていったり。
でもきん枝がか?
余りに不審だったのでググってみたら、桂きん枝が参院選に民主党から比例で出てるんだそうだ。
てことは、アレは選挙活動の一環だったのか。
選挙活動のなんでもアリさ加減は、もうここまで来てるのか。
なんじゃそら。
絶望感を味わうには丁度良い。
2010/07/05
割と活動的だった
家から歩いて数分のところに有名な古本屋があるんだそうだ。
今日は昼から後は久し振りにちゃんと晴れてたし、気温的にも過ごし易かったので、日が傾いてきた頃に一度風呂に入ってからのそりと赴く。
「確実性」でもあったらいいな。
素直に行けば歩いて数分だが、少し歩きたい気分だったので、わざわざ遠回りして行く。
なんかすげー分かり難いところにあった。
信号のある少し大きめの道から一つ小さい道に入ったところ。
外観は、意外と新しいふうだった。
中も割ときれいでそこそこ見易く、好い雰囲気。
哲学コーナーに行くと、ウィトゲンシュタイン全集全11巻がある!
でも30,000円ちょいするので諦める。
ああ、バラ売りできないか訊けばよかったか。
適当な安い本を見繕って買って帰る。
靴下を履くのが億劫で、どうせ近場だしと裸足に革靴を履いていたのだが、その所為でガッツリ靴擦れになる。
もー。
家に帰っても尚内なる活気を感じ、買った本を置いてその足で出かける。
どこへ行くでもなく、適当に自転車を走らす。
取り敢えずなんとなく、近くのココイチに入って腹拵えをする。
席に着いてから自分が白いシャツを着けていることに気付くが、難無く食べ遂せる。
今日は調子が良い。
腹拵えも済み、再び適当に自転車を走らせる。
なんとなく南東へ。
東西南北さえ判っていればなんとかなる、という信念の下、知らない道をズンズン進む。
吹田駅辺りに至る。
片山神社なる神社を発見する。

片山神社:灯籠 posted by (C)Ludwig D. Omen
なんとなく頃合を感じ、そろそろ帰ることにする。
片山神社の隣に公園があったので、そこをつっ切って北東の方向へ自転車を漕ぐ。
暫く漕ぐと見覚えのある道に至り、無事家に帰ることができた。
然し!
今日の私は未だ体力が余っている。
家の近くに人気の無く音の伝播し難そうな場所を発見したので、そこにボーランを持って左手のミュートの練習に行く。
右手のバチ捌きはスネアの練習パッドで練習できるのだけれど、左手は実際に叩いてみないと練習にならないのだ。
小一時間程叩いて、感触を掴んで帰る。
ここは恐らく割と穴場だ・・・。
今度笛の練習に来ようかね。
ということで、夕方以降、意外と充実した。
晴れると好いね。
今日は昼から後は久し振りにちゃんと晴れてたし、気温的にも過ごし易かったので、日が傾いてきた頃に一度風呂に入ってからのそりと赴く。
「確実性」でもあったらいいな。
素直に行けば歩いて数分だが、少し歩きたい気分だったので、わざわざ遠回りして行く。
なんかすげー分かり難いところにあった。
信号のある少し大きめの道から一つ小さい道に入ったところ。
外観は、意外と新しいふうだった。
中も割ときれいでそこそこ見易く、好い雰囲気。
哲学コーナーに行くと、ウィトゲンシュタイン全集全11巻がある!
でも30,000円ちょいするので諦める。
ああ、バラ売りできないか訊けばよかったか。
適当な安い本を見繕って買って帰る。
靴下を履くのが億劫で、どうせ近場だしと裸足に革靴を履いていたのだが、その所為でガッツリ靴擦れになる。
もー。
家に帰っても尚内なる活気を感じ、買った本を置いてその足で出かける。
どこへ行くでもなく、適当に自転車を走らす。
取り敢えずなんとなく、近くのココイチに入って腹拵えをする。
席に着いてから自分が白いシャツを着けていることに気付くが、難無く食べ遂せる。
今日は調子が良い。
腹拵えも済み、再び適当に自転車を走らせる。
なんとなく南東へ。
東西南北さえ判っていればなんとかなる、という信念の下、知らない道をズンズン進む。
吹田駅辺りに至る。
片山神社なる神社を発見する。
片山神社:灯籠 posted by (C)Ludwig D. Omen
なんとなく頃合を感じ、そろそろ帰ることにする。
片山神社の隣に公園があったので、そこをつっ切って北東の方向へ自転車を漕ぐ。
暫く漕ぐと見覚えのある道に至り、無事家に帰ることができた。
然し!
今日の私は未だ体力が余っている。
家の近くに人気の無く音の伝播し難そうな場所を発見したので、そこにボーランを持って左手のミュートの練習に行く。
右手のバチ捌きはスネアの練習パッドで練習できるのだけれど、左手は実際に叩いてみないと練習にならないのだ。
小一時間程叩いて、感触を掴んで帰る。
ここは恐らく割と穴場だ・・・。
今度笛の練習に来ようかね。
ということで、夕方以降、意外と充実した。
晴れると好いね。
2010/07/04
ウィスキーマック
Whiskey Mac 03 posted by (C)Ludwig D. Omen
ウィスキーとジンジャエールさえあれば、そいつはもう宴じゃね?
ということで、ウィスキーマックを作って呑む。
よし、今日は堕落する日。
私のレシピ:
甘いMacallanと辛いWilkinsonのジンジャエール。
ウィスキーを1としてジンジャエールが1.5~2ぐらいのバランスが、どちらかがどちらかを殺さない感じで丁度好い。
スッキリさせたいときはジンジャエールをたっぷり使い、マッタリしたいときはウィスキー多めに。
温度が高くなると甘さが勝ってしまうので、氷は十分に入れる。
・・・という感じ。
呑み過ぎる。
Whiskey Mac 01 posted by (C)Ludwig D. Omen
因みにMacallanはハーフボトル。
呑み過ぎないよう、自戒の意味を込めて。
あと実際最近そんなに呑まないので。
グラス片手に只管写真をパシャパシャ撮る。
久し振りに色々撮りたくなった。
が、家の中に大した素材は見つからず。
あと写真の技術が足りなかったり。
脱ぎ捨てられたジーンズがなんだか凄くセクシーだったので、何枚も撮ったのだけれど、写真にすると私の技術ではそのセクシーさがどうしても画にならない。
French Stationery posted by (C)Ludwig D. Omen
ベッドの脇に、入眠時に何か思い付いたとき用のメモを置いてる。
寝る前というのは、何故か素敵な言い回しだとか問題の新しい解決法だとかを思い付く、或は思い付いたような気分になる。
そいつをメモるのには、MacBookやiPod Touchではなく、ペンとメモパッドが一番だ。
メモパッドがRHODIAでペンがBIC。
そういやこれ、どちらも柿色に黒だし、どちらもお仏蘭西製。
特に拘りがある訳じゃないけど、偶々この組み合わせ。
てゆうか私はメモパッドは無地が好きなので、普通はRHODIAは買わない。
RHODIAのメモパッドは、偶々ブロックメモを買おうとしたときに入った店にこのRHODIAのしか置いてなかったので、しょうがないけどまあいいかと思って買ったものだ。
BICのペンは、まあ割と好みだけど、一番ではない。
ベッドの脇に置いて初めてこの配色に気が付いた。
偶々手にしたものが似たような配色だったので、なんだか一寸嬉しかった。
2010/07/01
ラブが増えるということについて
ここんとこずっと思い悩んでいること。
ラブプラス+を買うべきか買うべきでないか。
だってラブ=ラブ+1なんだぜ?
買わない理由:
・すぐ飽きる可能性がある。
・逆にやり込んで時間を徒に浪費する。
・ハマって生活に支障を来す。
・その金でウィトゲンシュタインの「確実性」でも買った方が自分にとってプラスになる。
・或はサイフォン式のコーヒーメーカーを買うとか。
・特に私の何かを増強する訳ではなさそう。
買う理由:
・余りゲームをしない私にもできそうだし、一寸面白そう。
・眠っているDSを活用できるチャンス。
・流行に乗っておくことも大切・・・ではないにせよ、まあ悪くない。
・「確実性」を買ったところで、他に読まなければならない本が既に山積している。
・コーヒーなんざペーパードリップで十分。
・兎に角ラブが1増える。
という感じで。
つまりラブとは、恐らく整数型なんだ。
ラブプラス+を買うべきか買うべきでないか。
だってラブ=ラブ+1なんだぜ?
買わない理由:
・すぐ飽きる可能性がある。
・逆にやり込んで時間を徒に浪費する。
・ハマって生活に支障を来す。
・その金でウィトゲンシュタインの「確実性」でも買った方が自分にとってプラスになる。
・或はサイフォン式のコーヒーメーカーを買うとか。
・特に私の何かを増強する訳ではなさそう。
買う理由:
・余りゲームをしない私にもできそうだし、一寸面白そう。
・眠っているDSを活用できるチャンス。
・流行に乗っておくことも大切・・・ではないにせよ、まあ悪くない。
・「確実性」を買ったところで、他に読まなければならない本が既に山積している。
・コーヒーなんざペーパードリップで十分。
・兎に角ラブが1増える。
という感じで。
つまりラブとは、恐らく整数型なんだ。
2010/06/30
Gの存在論、アサリ、タンサン
朝、酷く疲れていて、タウリン3000mgを接種する。
もうなんか今日は何やっても駄目な気がする。
出かけようとして靴を履くと、履いた靴の下から未だ羽も生え揃わないthe Gの死骸。
クロG。
辛うじて踏み潰さないで済んだ。
これが靴の中だった可能性を想起して死にそうになる。
もー。
今日はもうドツボ決定。
なんで奴等はあんなに嫌悪感を誘うフォルムをしているんだろう・・・。
奴は死んでいたし、急いでいたので、そのままにして家を出る。
帰ってきたら、蒸し暑く薄暗い家の中、当然奴がお出迎えする訳だ。
もー。
踏み潰さないようにして靴を脱ぎ、家の中に入る。
ティッシュの上から嫌々ながら奴を摘むと、殊の外柔らかい。
うわー、もう厭だー。
そして摘み上げようとしたとき、奴が微かにグニュリと動くのが指先に伝わってくる!
WRYYYYYYYYYYY!
怨トロGッ!
指がッ!指がッ!
どうかマジ勘弁してください。
もうなんか今日は何やっても駄目な気がする。
出かけようとして靴を履くと、履いた靴の下から未だ羽も生え揃わないthe Gの死骸。
クロG。
辛うじて踏み潰さないで済んだ。
これが靴の中だった可能性を想起して死にそうになる。
もー。
今日はもうドツボ決定。
なんで奴等はあんなに嫌悪感を誘うフォルムをしているんだろう・・・。
奴は死んでいたし、急いでいたので、そのままにして家を出る。
帰ってきたら、蒸し暑く薄暗い家の中、当然奴がお出迎えする訳だ。
もー。
踏み潰さないようにして靴を脱ぎ、家の中に入る。
ティッシュの上から嫌々ながら奴を摘むと、殊の外柔らかい。
うわー、もう厭だー。
そして摘み上げようとしたとき、奴が微かにグニュリと動くのが指先に伝わってくる!
WRYYYYYYYYYYY!
怨トロGッ!
指がッ!指がッ!
どうかマジ勘弁してください。
2010/06/28
TrackballWorks for Windows 1.01、使ってみた
SlimBlade Trackball用の最新の純正ドライバが今月の始めに出てたみたい。
TrackballWorks for Windows 1.01。
64bit版Windows 7にも対応しているので、これでやっと、今後新しいPCをWindows 7のx64で組んでもOKになった訳だ。
因みに今は未だWindows XPがメイン。
あとSlimBlade TrackballだけでなくExpert MouseもWindows 7で使えるようになる。
ということで、ダウンロードしてみる(→Kensington)。
以前のドライバをアンインストールして、TrackballWorksをインストール、その後一度再起動。
タスクトレイのアイコンをダブルクリックでカスタマイズ画面が出る。
四つのボタンそれぞれに機能を割り当てることができる。
アプリケーションのランチとか、結構色々割り当てられる。
が、ボタン二つ同時押しに機能を割り当てることができない・・・。
ハードウェアのリビジョンが古過ぎるとかか?
因みに私のは1.05らしい。
新しいものならできるのか?
やっぱExpert Mouseにしときゃよかったのかなあ。
Expert Mouseも結局Windows 7でボタンカスタマイズができるようになった訳だし。
でもSlimblade Trackballを買った時点では、Expert MouseがWindows 7でボタンカスタマイズができるようになる見込みは少なかったんだよ・・・。
ということで、かざぐるマウスは未だ手放せない。
TrackballWorks for Windows 1.01。
64bit版Windows 7にも対応しているので、これでやっと、今後新しいPCをWindows 7のx64で組んでもOKになった訳だ。
因みに今は未だWindows XPがメイン。
あとSlimBlade TrackballだけでなくExpert MouseもWindows 7で使えるようになる。
ということで、ダウンロードしてみる(→Kensington)。
以前のドライバをアンインストールして、TrackballWorksをインストール、その後一度再起動。
タスクトレイのアイコンをダブルクリックでカスタマイズ画面が出る。
四つのボタンそれぞれに機能を割り当てることができる。
アプリケーションのランチとか、結構色々割り当てられる。
が、ボタン二つ同時押しに機能を割り当てることができない・・・。
ハードウェアのリビジョンが古過ぎるとかか?
因みに私のは1.05らしい。
新しいものならできるのか?
やっぱExpert Mouseにしときゃよかったのかなあ。
Expert Mouseも結局Windows 7でボタンカスタマイズができるようになった訳だし。
でもSlimblade Trackballを買った時点では、Expert MouseがWindows 7でボタンカスタマイズができるようになる見込みは少なかったんだよ・・・。
ということで、かざぐるマウスは未だ手放せない。
2010/06/27
目指せ!第二のクリプキ
私的録音補償金って、結局のところ、具体的にどういった事柄についての「補償」なんだろうか。
或楽曲について、その楽曲の入ったCDを買ってきてCDプレイヤーで音楽を聴いて、それ以外にiPodでもその楽曲を聴くとき、例えば、「本当ならCDとは別にiPod用に楽曲データを(何故か)買わなければならない」とか「本来iPodに楽曲データを転送することに課金する権利を(何故か)著作権管理団体が保持している」ということを主張するのでないなら、一体、具体的に何が損なわれているのだろう。
そこで奇跡論理学。
発明しました。
普通の論理学、例えば古典的論理学の三段論法だと
大前提:全ての人間は死すべきものだ
小前提:ソクラテスは人間である
結論:従ってソクラテスは死すべきものだ
というふうな感じだが、
奇跡論理学では例えば
大前提:全ての人間は死すべきものだ
小前提:ソクラテスは人間である
奇跡:ここで奇跡が起こる
結論:従ってソクラテスは不死である
というような構造をしている。
この奇跡論理学を以てすれば、例えば私的録音補償金制度にだって何らかの正当性を見出すことができるだろう。
つまり「特に具体的に何が損なわれている訳でもないけれど、(奇跡が起こったので)私的録音に関して補償が為されるべきだ」という主張が極めて論理的な主張として認められる。
と、それとは関係無い話。
「全ての人間は死すべきものだ」と言うとき、「全ての人間」が具体的には何を意味しているか、或は何を意味していると捉えることが正しいのかということは、述部に何が来るか、例えば「死すべきものだ」が来るのか或は「いつかは滅びるものだ」が来るのか、にも幾らか依存している。
普通、「全ての人間は死すべきものだ」と言うとき、「全ての人間」というのは、私だとかソクラテスだとか、一人一人の個人を個物(?)として捉えるものだ。
つまり人間なら誰でも死から逃れることはできない、といった話だ。
自然とそう解釈するものだと思う。
普通、この場合の「全ての人間」を「人類全体」とか「人間というカテゴリーそのもの」のようなものとして、つまり「(一人一人の)人間」でなく「全ての人間」を個物(?)として解釈しはしない。
「死すべきものだ」が述部に来ると、「全ての人類」を「人類全体」として解釈することは困難を伴う。
然しこれが「全ての人間はいつか滅びるものだ」となると、「全ての人間」は「人類全体」のようなものとして捉えた方が楽かも知れない。
つまり、人類はあと100万年もすればスッカリ死滅している、とかいう話だと想像することができる。
或はこの場合でも「全ての人間」を「一人一人の個人、全て」と捉えることも、まあ可能だろう。
つまり「死ぬ」を「滅びる」と言い換えたものだとして考えて、人は誰でもいつかは死ぬもんだ、ということを意味しているんだと捉える訳だ。
ということで、例えば
・全ての人間はいつか滅びるものだ
・ソクラテスは人間である
・従って、ソクラテスは滅びるものだ
としたとき、場合によっては上の二つの前提が結論を導き出す助けになっていないようなこともあり得る訳だ。
で、だから何?という話。
或楽曲について、その楽曲の入ったCDを買ってきてCDプレイヤーで音楽を聴いて、それ以外にiPodでもその楽曲を聴くとき、例えば、「本当ならCDとは別にiPod用に楽曲データを(何故か)買わなければならない」とか「本来iPodに楽曲データを転送することに課金する権利を(何故か)著作権管理団体が保持している」ということを主張するのでないなら、一体、具体的に何が損なわれているのだろう。
そこで奇跡論理学。
発明しました。
普通の論理学、例えば古典的論理学の三段論法だと
大前提:全ての人間は死すべきものだ
小前提:ソクラテスは人間である
結論:従ってソクラテスは死すべきものだ
というふうな感じだが、
奇跡論理学では例えば
大前提:全ての人間は死すべきものだ
小前提:ソクラテスは人間である
奇跡:ここで奇跡が起こる
結論:従ってソクラテスは不死である
というような構造をしている。
この奇跡論理学を以てすれば、例えば私的録音補償金制度にだって何らかの正当性を見出すことができるだろう。
つまり「特に具体的に何が損なわれている訳でもないけれど、(奇跡が起こったので)私的録音に関して補償が為されるべきだ」という主張が極めて論理的な主張として認められる。
と、それとは関係無い話。
「全ての人間は死すべきものだ」と言うとき、「全ての人間」が具体的には何を意味しているか、或は何を意味していると捉えることが正しいのかということは、述部に何が来るか、例えば「死すべきものだ」が来るのか或は「いつかは滅びるものだ」が来るのか、にも幾らか依存している。
普通、「全ての人間は死すべきものだ」と言うとき、「全ての人間」というのは、私だとかソクラテスだとか、一人一人の個人を個物(?)として捉えるものだ。
つまり人間なら誰でも死から逃れることはできない、といった話だ。
自然とそう解釈するものだと思う。
普通、この場合の「全ての人間」を「人類全体」とか「人間というカテゴリーそのもの」のようなものとして、つまり「(一人一人の)人間」でなく「全ての人間」を個物(?)として解釈しはしない。
「死すべきものだ」が述部に来ると、「全ての人類」を「人類全体」として解釈することは困難を伴う。
然しこれが「全ての人間はいつか滅びるものだ」となると、「全ての人間」は「人類全体」のようなものとして捉えた方が楽かも知れない。
つまり、人類はあと100万年もすればスッカリ死滅している、とかいう話だと想像することができる。
或はこの場合でも「全ての人間」を「一人一人の個人、全て」と捉えることも、まあ可能だろう。
つまり「死ぬ」を「滅びる」と言い換えたものだとして考えて、人は誰でもいつかは死ぬもんだ、ということを意味しているんだと捉える訳だ。
ということで、例えば
・全ての人間はいつか滅びるものだ
・ソクラテスは人間である
・従って、ソクラテスは滅びるものだ
としたとき、場合によっては上の二つの前提が結論を導き出す助けになっていないようなこともあり得る訳だ。
で、だから何?という話。
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