ギターの自作エフェクターはユニバーサル基板で作る派。
ネットから回路図を拾ってきたりして、それをアレコレ弄って作る。
今までエフェクターの回路図や実装図面は方眼ノートに手描きで描いてた。
まあ基本的に歪み系とかばかりでそんなに複雑なものは作らないので、それで事足りるっちゃあ事足りる。
あとノートだと一覧性が高いので、色々描いてみて比較したりとかし易い。
でもやっぱ時代はITでデジタルでマルチメディアですやん?ナウなヤングですやん?
やっぱソフトウェアを使って設計しないと、できることの上限が低いところに留まってしまう。
つうことでLTspiceとKiCAD使って遊ぶ。
LTspiceを使うと今まで怖くてできなかった大胆な改造とかが簡単に試せるのが良い。
実際にモノを作らずに、或はオシロとか用意せずに、動作中の内部の電流だとか電圧だとかが分かるので、どこの何をどうすればいいのかということのアタリを付け易い。
楽しくなって色々弄ってたら一日経っている・・・。
LTspiceで回路図が描けたらKiCADで実装図面を描く。
LTspiceの回路図の基板に載せる分だけをKiCADの
今までの手描きだと、回路図を見ながら部品を入力側から順番に置いていったりするのだけれど、それだと少し手直しをするだけで結構ガッサリ描き直さないといけなかったりして、結局少し面積効率の劣る配置図になってしまったりしていた。
KiCADなら今まで思い付かなかったような意外な配置ができたり。
ユニバーサル基板で使うにはライブラリがイマイチだったり、回路図の部品の大きさが揃ってなかったり、色々痒い所に手が届かない感じがするけど、まあガマンすれば使えるレベル。
部品点数20点程度までの複雑さなら手描きの方が早いかも。
つうことで、エフェクターを色々作ったり作らなかったりしている。
2016/05/08
多元論の次
私的言語メモ。
例えば私が「腹が痛い」と言ったとしよう。
この一連の状況について、現在の神経生理学が扱うことを許されているような語彙を用いて記述し直すことはできるだろう。(或は未来の神経生理学に予期される語彙も含めてもいい。)
まあ要するに、心に関するアレコレ(民間心理学)を科学的に扱うことはできるのか、という質問に対して「全くできない」と答える人はまあ居ないだろう、という話。
消去的唯物論者は「そんなん物理学がカンペキになったときには完全に可能だし、それが叶った暁には民間心理学は正確じゃないので捨てていい」と言う。
乱暴に言うなら、「世界」とは物理法則に支配される物理世界であって、人の心もまあその一部であるか、或は物理学的記述ができない事柄が残るとすれば、それはそもそも存在していないのだ、っちゅう話。
これに対してプラグマチストは「まあでもゆうたかて、「正しい」とか「間違ってる」とかいうのは言葉ですやん?(言語的)実践を超えてなんか「世界そのもの」的なヤツにアクセスとかできたりとか、ソイツをそのまま(言語的)実践抜きで判断とかできたりする訳やないですやん?」と言う。
他にもポパーふうに「そもそも物理学がマトモな科学である限り、カンペキとか無いし(反証可能性)」とか消去的唯物論に対しては色々攻め方があると思うけど。
「いくらなんでも消去はやり過ぎちゃう?」ということは言えそう。
で、実際のところ、心はモノなのか?
プラグマチスト的には、問題にしたい点は、我々が今民間心理学的語彙を以て記述しようとしている事柄は物理的な事象「でしかない」のかというところか。
プラグマチックなユルい実在論者は「やっぱゆうてもモノでっせ。物理的実在のみが世界に実在しとるんでっせ。」という点を強調する。
それに対してプラグマチックな多元論者は「いやちゃうねん、そもそも物理学的言説だけが特権的に真偽判断が可能というもんでもないで。色々あんねやて。物理学も人が生活していく上での「色々」の内の一つやで。」と言う。
多元論者的には、歴史的に見るなら民間心理学の語彙と物理学の語彙は元々別モンで、それらの間で翻訳は可能だけれど翻訳の不確定性は残るという点は強調したいトコロ。
心を昔ながらの民間心理学的存在と見てもいいし、物理的存在と見てもいいし、或は道徳的存在と見てもいいけど、どう見たらいいのかはその時々の目的とか場合とかに拠る、ぐらいの感じ。
なので民間心理学と物理学と道徳とで戦ったらどれが強いのか、という問いには直接的には答えず、「イヤだからそもそもそれらは別モンで、常に一律になんか神の視点的な視点から比較できるというものでもないし。時と場合に拠るんちゃう?」と言う。
これだけだと相対主義みたいに聞こえるかも知れないけれど、相対主義と違って原理的に何も判断できないという状態からは「目ぇ瞑って飛び降りろ」的実存主義なんかをわざわざ導入しなくても抜け出せる。
例えば「社会」だとか「歴史」だとかの他者の概念の話が加わったり・・・けど今その話はいいや。相対主義嫌いだし、この長くなるので面倒臭いし。
まあそんな訳で、私はプラグマチックな多元主義者なんだが、ここからが問題。
多元論とはいっても、言語実践の仕組み的に強いヤツっておるやん?
例えば論理とか合理性にどのくらいパワーを持たしていいのか。
実は心身問題が問題なのではなかったのでした。
アリストテレスは哺乳類であるなら、それはアリストテレスが脊椎動物であるということを含意していると言ってもいい。
全ての哺乳類は脊椎動物であるからだ。(え?合ってるよな?カモノハシ的例外とか無いよな?)
・・・と言うとき、何が起こっているのかとか。
例えば私が「腹が痛い」と言ったとしよう。
この一連の状況について、現在の神経生理学が扱うことを許されているような語彙を用いて記述し直すことはできるだろう。(或は未来の神経生理学に予期される語彙も含めてもいい。)
まあ要するに、心に関するアレコレ(民間心理学)を科学的に扱うことはできるのか、という質問に対して「全くできない」と答える人はまあ居ないだろう、という話。
消去的唯物論者は「そんなん物理学がカンペキになったときには完全に可能だし、それが叶った暁には民間心理学は正確じゃないので捨てていい」と言う。
乱暴に言うなら、「世界」とは物理法則に支配される物理世界であって、人の心もまあその一部であるか、或は物理学的記述ができない事柄が残るとすれば、それはそもそも存在していないのだ、っちゅう話。
これに対してプラグマチストは「まあでもゆうたかて、「正しい」とか「間違ってる」とかいうのは言葉ですやん?(言語的)実践を超えてなんか「世界そのもの」的なヤツにアクセスとかできたりとか、ソイツをそのまま(言語的)実践抜きで判断とかできたりする訳やないですやん?」と言う。
他にもポパーふうに「そもそも物理学がマトモな科学である限り、カンペキとか無いし(反証可能性)」とか消去的唯物論に対しては色々攻め方があると思うけど。
「いくらなんでも消去はやり過ぎちゃう?」ということは言えそう。
で、実際のところ、心はモノなのか?
プラグマチスト的には、問題にしたい点は、我々が今民間心理学的語彙を以て記述しようとしている事柄は物理的な事象「でしかない」のかというところか。
プラグマチックなユルい実在論者は「やっぱゆうてもモノでっせ。物理的実在のみが世界に実在しとるんでっせ。」という点を強調する。
それに対してプラグマチックな多元論者は「いやちゃうねん、そもそも物理学的言説だけが特権的に真偽判断が可能というもんでもないで。色々あんねやて。物理学も人が生活していく上での「色々」の内の一つやで。」と言う。
多元論者的には、歴史的に見るなら民間心理学の語彙と物理学の語彙は元々別モンで、それらの間で翻訳は可能だけれど翻訳の不確定性は残るという点は強調したいトコロ。
心を昔ながらの民間心理学的存在と見てもいいし、物理的存在と見てもいいし、或は道徳的存在と見てもいいけど、どう見たらいいのかはその時々の目的とか場合とかに拠る、ぐらいの感じ。
なので民間心理学と物理学と道徳とで戦ったらどれが強いのか、という問いには直接的には答えず、「イヤだからそもそもそれらは別モンで、常に一律になんか神の視点的な視点から比較できるというものでもないし。時と場合に拠るんちゃう?」と言う。
これだけだと相対主義みたいに聞こえるかも知れないけれど、相対主義と違って原理的に何も判断できないという状態からは「目ぇ瞑って飛び降りろ」的実存主義なんかをわざわざ導入しなくても抜け出せる。
例えば「社会」だとか「歴史」だとかの他者の概念の話が加わったり・・・けど今その話はいいや。相対主義嫌いだし、この長くなるので面倒臭いし。
まあそんな訳で、私はプラグマチックな多元主義者なんだが、ここからが問題。
多元論とはいっても、言語実践の仕組み的に強いヤツっておるやん?
例えば論理とか合理性にどのくらいパワーを持たしていいのか。
実は心身問題が問題なのではなかったのでした。
アリストテレスは哺乳類であるなら、それはアリストテレスが脊椎動物であるということを含意していると言ってもいい。
全ての哺乳類は脊椎動物であるからだ。(え?合ってるよな?カモノハシ的例外とか無いよな?)
・・・と言うとき、何が起こっているのかとか。
2016/05/07
顔の右半分が痛い
顔の右半分の痛みで目覚める。
右を下にして寝てたので、顔に何か硬いものでも当たっていたかと思ったが、布団の上に硬いものも無いし。
併し実際どこが痛いのか、詳しい場所が自分でも能く判らない。
それに起き上がってしばらくしてもずっと痛みが減らない。
ぴっちり右半分だけがぼんやりと全体的に痛い。
右半分だけが、重く、鈍く、熱っぽく、圧迫感があり、痛い。
なんもやる気が起きねえ。
でもなんかちょー怖ぇ。
しばらく横になったり顔の色んな筋肉に力を入れてみたりしたが、特に何が変わるでもなく。
どうやら顔の中が痛いような感じがする。
顔の表面から10mm程度のところの気もするし、顔の中の中心辺りの気もする。
鏡を見ても特に腫れが見られるでもなく、いつも通り、なんか気持ち悪いヤツが寝起きヅラでこっちを睨め付けていやがる。
何が原因なんだろうか。
リンパ系なのか、神経系なのか、或は呼吸器系なのか。
病院へ行くにしても何科へいくべきなのか判らない。
或は歯医者かも知れないし、心療内科かも知れない。
色々原因は思い付くが、ハッキリとしたことは何も判らない。
素人に診察はできないが、然し何も判断しない訳にもいかない。
実権力者に対して要請される知識と判断の慎重さを同じレベルで全ての市民のすべての判断に求めることで、結果的に Come and play, Come and play, Forget about the movement (rage against the machine) つって、専門家以外は何も主張するな、主張しているところを私に見せるな、と知ったような顔で主張するという状態へ陥っている多くの人々の例に倣うこともない。
取り敢えず、もしそうであれば或程度は自分で対策可能という理由で、副鼻腔炎系の何かだろうとアタリを付けてみる。
洟が出てる訳じゃないし、蓄膿の臭いも恐らくはしてなさそうなので、ザ・副鼻腔炎って訳じゃないような気がするけれど。
でもまあ鼻腔の炎症系の何かのような気がする。
耳鼻科へ行くか迷ったが、取り敢えず手元にあったフェキソフェナジン塩酸塩とアスピリンを咽んで、鼻うがいをし、乳酸菌+繊維+オリゴ糖摂って、取り敢えず歯もすげー磨く。
若し間違っていたとしても副作用が強く出てどうにかなるでもなし。
但鼻うがいは、細菌性の何かだった場合に患部を拡げそうな気がして怖い。
あとやり過ぎると粘膜がゴッソリいかれて、すげー乾く。加減がイマイチ判らねえ。
薬咽んでしばらくすると症状は大分治まる。
その後薬を追加していなくても今まで保ってるので、まあ取り敢えず様子を見るか。
明日朝起きてダメだったら病院へ行こう。
まあそんな感じで。
右を下にして寝てたので、顔に何か硬いものでも当たっていたかと思ったが、布団の上に硬いものも無いし。
併し実際どこが痛いのか、詳しい場所が自分でも能く判らない。
それに起き上がってしばらくしてもずっと痛みが減らない。
ぴっちり右半分だけがぼんやりと全体的に痛い。
右半分だけが、重く、鈍く、熱っぽく、圧迫感があり、痛い。
なんもやる気が起きねえ。
でもなんかちょー怖ぇ。
しばらく横になったり顔の色んな筋肉に力を入れてみたりしたが、特に何が変わるでもなく。
どうやら顔の中が痛いような感じがする。
顔の表面から10mm程度のところの気もするし、顔の中の中心辺りの気もする。
鏡を見ても特に腫れが見られるでもなく、いつも通り、なんか気持ち悪いヤツが寝起きヅラでこっちを睨め付けていやがる。
何が原因なんだろうか。
リンパ系なのか、神経系なのか、或は呼吸器系なのか。
病院へ行くにしても何科へいくべきなのか判らない。
或は歯医者かも知れないし、心療内科かも知れない。
色々原因は思い付くが、ハッキリとしたことは何も判らない。
素人に診察はできないが、然し何も判断しない訳にもいかない。
実権力者に対して要請される知識と判断の慎重さを同じレベルで全ての市民のすべての判断に求めることで、結果的に Come and play, Come and play, Forget about the movement (rage against the machine) つって、専門家以外は何も主張するな、主張しているところを私に見せるな、と知ったような顔で主張するという状態へ陥っている多くの人々の例に倣うこともない。
取り敢えず、もしそうであれば或程度は自分で対策可能という理由で、副鼻腔炎系の何かだろうとアタリを付けてみる。
洟が出てる訳じゃないし、蓄膿の臭いも恐らくはしてなさそうなので、ザ・副鼻腔炎って訳じゃないような気がするけれど。
でもまあ鼻腔の炎症系の何かのような気がする。
耳鼻科へ行くか迷ったが、取り敢えず手元にあったフェキソフェナジン塩酸塩とアスピリンを咽んで、鼻うがいをし、乳酸菌+繊維+オリゴ糖摂って、取り敢えず歯もすげー磨く。
若し間違っていたとしても副作用が強く出てどうにかなるでもなし。
但鼻うがいは、細菌性の何かだった場合に患部を拡げそうな気がして怖い。
あとやり過ぎると粘膜がゴッソリいかれて、すげー乾く。加減がイマイチ判らねえ。
薬咽んでしばらくすると症状は大分治まる。
その後薬を追加していなくても今まで保ってるので、まあ取り敢えず様子を見るか。
明日朝起きてダメだったら病院へ行こう。
まあそんな感じで。
2016/04/30
製図ペン狂時代
またペンの病気が始まった。
最近殆ど手で書くということをしていないにも拘らず。
シャーペンは、製図ペンがなんか好きなのです。
色々となんとなく尤もらしい理由を付けることはできるだろうけれど、まあなんか製図ペンが好きなのです。
見た目とか気分とかの問題が大。
普段家ではrotringの600を使っている。
軸まで金属製で重みがあり、見た目的にも触った感じも操作感もシッカリした感じがある。
造りや機構自体もかなりシッカリしてて、例えばペン先はローレット部まで一体モノだし、そのパーツ自体に芯送り機構がネジ留めされている。
rotringのこれよりお高いヤツもあるけれど、ペン先収納機能とかが付いて機構的に複雑さが増して故障やらガタつきグラつきの原因となる。
rotring 600がマジ最高。
でも一本2,000~2,500円ぐらいするので、乱暴に扱うような用途には一寸腰が引ける。
乱暴に扱う用途には今までrotring 300を使っていた。
床で線を引いた後そのまま床に転がしといたりする用。
でも300って600の素晴らしさを知っていると結構粗が目立つ。
ペン先部が別パーツで使ってるうちにネジが緩くなってくるし。
ローレット部が樹脂製だし。
そんなにHeavy Dutyではない。
形は同じなのに高級感は全然無い。
つうことで、rotring 600まで高くなくて300よりもうちょいマシな、荒っぽ使う用の製図ペンが欲しい。
候補は
・三菱鉛筆 製図用uni
・STEADTLER 925
・rotring 500

製図ペン比較 posted by (C)Ludwig D. Omen
uniは最近買ったが他は結構古い。
こう並べてみると、uniとrotringは対極の特徴を持っていて、その調度中間にSTEADLERがある、という感じがする。
uniはローレット部が太めで摩擦は弱め、またペン先からローレットまでの距離は長く、重心がペン先に近くて全体重量は軽め。
rotring 500はローレット部が細くて滑り難く、ペン先からローレットまでの距離は短く、重心はペンの中心付近。
STEADTLER 925は丁度その中間だが重量だけは一番重い。

製図ペン ペン先比較 posted by (C)Ludwig D. Omen

製図ペン 重心比較 posted by (C)Ludwig D. Omen
uniは比較的滑り易いが油ギトギトの指でもツルツル滑ってしまうというようなことは無い。
軸が太いのでゴツイ感はあるし、軽い割に重心がペン先側なので、それはそれで結構安定する気がする。
でもたまに硬度表示の部分が指に当たって少しだけ鬱陶しい。
STEADTLERも似たような位置にあるがこの部分が金属なので気にならない。
然しuniは樹脂な上にローレット部より径が若干大きいので指に触る。
でもまあ不満という程のことでもない。
あとuniは他より安いので、乱暴にガシガシ使う用途には合ってる。
然しrotring 500と比較するなら、やっぱrotringの方がいい。
機構的には600とは少し異なるが大体似たような構造で信頼できるし。
ローレットの滑り難さは折り紙つきだし。
ローレット部とペン先が近いので必要があれば深く持つことができるし。
あとなにより、私はrotringのこのシリーズに慣れている。
軸の細さや重量バランスにも慣れている。
つうことでまあ、やっぱrotring 300の後釜は500かなあ。
uniの倍程度の値段だけど。
uniで不満かと言われると、別に不満という程の不満も無いんだけどなあ・・・。
そういや三菱鉛筆の筆記用具って、イマイチ格好良いのが無い。
まあ普通の「書けりゃいい」ヤツはそれでもいいのかも知れないけれど、一寸高いヤツでも大分ダサい。
Power TankとかJetstreamとか機能的には素晴らしいんだけれど。
最近殆ど手で書くということをしていないにも拘らず。
シャーペンは、製図ペンがなんか好きなのです。
色々となんとなく尤もらしい理由を付けることはできるだろうけれど、まあなんか製図ペンが好きなのです。
見た目とか気分とかの問題が大。
普段家ではrotringの600を使っている。
軸まで金属製で重みがあり、見た目的にも触った感じも操作感もシッカリした感じがある。
造りや機構自体もかなりシッカリしてて、例えばペン先はローレット部まで一体モノだし、そのパーツ自体に芯送り機構がネジ留めされている。
rotringのこれよりお高いヤツもあるけれど、ペン先収納機能とかが付いて機構的に複雑さが増して故障やらガタつきグラつきの原因となる。
rotring 600がマジ最高。
でも一本2,000~2,500円ぐらいするので、乱暴に扱うような用途には一寸腰が引ける。
乱暴に扱う用途には今までrotring 300を使っていた。
床で線を引いた後そのまま床に転がしといたりする用。
でも300って600の素晴らしさを知っていると結構粗が目立つ。
ペン先部が別パーツで使ってるうちにネジが緩くなってくるし。
ローレット部が樹脂製だし。
そんなにHeavy Dutyではない。
形は同じなのに高級感は全然無い。
つうことで、rotring 600まで高くなくて300よりもうちょいマシな、荒っぽ使う用の製図ペンが欲しい。
候補は
・三菱鉛筆 製図用uni
・STEADTLER 925
・rotring 500
製図ペン比較 posted by (C)Ludwig D. Omen
uniは最近買ったが他は結構古い。
こう並べてみると、uniとrotringは対極の特徴を持っていて、その調度中間にSTEADLERがある、という感じがする。
uniはローレット部が太めで摩擦は弱め、またペン先からローレットまでの距離は長く、重心がペン先に近くて全体重量は軽め。
rotring 500はローレット部が細くて滑り難く、ペン先からローレットまでの距離は短く、重心はペンの中心付近。
STEADTLER 925は丁度その中間だが重量だけは一番重い。
| 軸径 | 滑り難さ | ペン先端-ローレット距離 | 重心 | 重量 | 価格帯 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 三菱鉛筆 uni | 9.0 | 弱 | 18.5 | ペン先側 | 軽い | 500 |
| STEADLER 925 | 8.75 | 中間 | 17.0 | 中間 | 重め | 1,200 |
| rotring 500 | 7.8 | 強 | 12.0 | ペン中央 | 中間 | 1,200 |
製図ペン ペン先比較 posted by (C)Ludwig D. Omen
製図ペン 重心比較 posted by (C)Ludwig D. Omen
uniは比較的滑り易いが油ギトギトの指でもツルツル滑ってしまうというようなことは無い。
軸が太いのでゴツイ感はあるし、軽い割に重心がペン先側なので、それはそれで結構安定する気がする。
でもたまに硬度表示の部分が指に当たって少しだけ鬱陶しい。
STEADTLERも似たような位置にあるがこの部分が金属なので気にならない。
然しuniは樹脂な上にローレット部より径が若干大きいので指に触る。
でもまあ不満という程のことでもない。
あとuniは他より安いので、乱暴にガシガシ使う用途には合ってる。
然しrotring 500と比較するなら、やっぱrotringの方がいい。
機構的には600とは少し異なるが大体似たような構造で信頼できるし。
ローレットの滑り難さは折り紙つきだし。
ローレット部とペン先が近いので必要があれば深く持つことができるし。
あとなにより、私はrotringのこのシリーズに慣れている。
軸の細さや重量バランスにも慣れている。
つうことでまあ、やっぱrotring 300の後釜は500かなあ。
uniの倍程度の値段だけど。
uniで不満かと言われると、別に不満という程の不満も無いんだけどなあ・・・。
そういや三菱鉛筆の筆記用具って、イマイチ格好良いのが無い。
まあ普通の「書けりゃいい」ヤツはそれでもいいのかも知れないけれど、一寸高いヤツでも大分ダサい。
Power TankとかJetstreamとか機能的には素晴らしいんだけれど。
2016/04/16
リモンチェッロ
甘い酒は呑み過ぎるの法則。
リモンチェッロを買ってきて呑む。
Coppoの。
甘くてスッキリ爽やかで美味しい。
同じレモン系でもシトロンジェネヴァは余り好きじゃないけど、リモンチェッロは私には好い。
冷凍庫で冷やすのが良いのだけれど、一度栓を開けてから冷凍庫に横に寝かせて入れてると、中身が膨張して次冷凍庫を開けた時栓から少し零れてて焦る。
冷凍庫に立てては入らないので、しゃあなしで冷蔵庫で冷やしてるのだけれど、ストレートで呑むには冷えが弱い。
ヌルっとした味が強調されて、まあ悪くはないけれど冷凍庫で冷やしたのと比べると劣る。
なので炭酸水で1:1で割って呑んでる。
ビターズを少し垂らすのも好い。
すげー呑み易いので結構カパカパ呑んでしまう。
リモンチェッロ自体はアルコール度数30%ぐらいなので、炭酸で割ってもしっかり目のワインぐらいのアルコール度数がある。
スプリッツァーぐらいの感覚で呑めてしまう。
なので結構足に来る。
リモンチェッロを買ってきて呑む。
Coppoの。
甘くてスッキリ爽やかで美味しい。
同じレモン系でもシトロンジェネヴァは余り好きじゃないけど、リモンチェッロは私には好い。
冷凍庫で冷やすのが良いのだけれど、一度栓を開けてから冷凍庫に横に寝かせて入れてると、中身が膨張して次冷凍庫を開けた時栓から少し零れてて焦る。
冷凍庫に立てては入らないので、しゃあなしで冷蔵庫で冷やしてるのだけれど、ストレートで呑むには冷えが弱い。
ヌルっとした味が強調されて、まあ悪くはないけれど冷凍庫で冷やしたのと比べると劣る。
なので炭酸水で1:1で割って呑んでる。
ビターズを少し垂らすのも好い。
すげー呑み易いので結構カパカパ呑んでしまう。
リモンチェッロ自体はアルコール度数30%ぐらいなので、炭酸で割ってもしっかり目のワインぐらいのアルコール度数がある。
スプリッツァーぐらいの感覚で呑めてしまう。
なので結構足に来る。
2016/04/07
痩身
走る。
私の回復力やら生活やら健康やらを考えると週一ぐらいで走るのがいいかと思うのでそうしたいところなのだけれど、結局ダルかったり雨が降ったり面倒くさかったりで月一ぐらい。基本面倒臭いが原因。
バイク乗るようになって日常の運動量が急激に減り、結構デブってきたこともあって、先月辺りまでは全然走れなくなっていたのだけれど、それに比べれば今日はまだマシだった。
でも少し前の多少走れてたときに比べても未だ全然な感じ。
体重を落とさんとなあ。
取り敢えず10kgぐらい落とせばベスト体重ぐらいの感じ。
やっぱ週一ぐらいで走らんとダメんだんだろうなあ。
ジム通いすっかなあ・・・。
あと食事。
夜とか、買ってしまったものを勿体無くて食べてる感じなんよね。
多分これが一番悪い点だと思う。
買う量を減らすか、捨てる勇気を持つか。
私の回復力やら生活やら健康やらを考えると週一ぐらいで走るのがいいかと思うのでそうしたいところなのだけれど、結局ダルかったり雨が降ったり面倒くさかったりで月一ぐらい。基本面倒臭いが原因。
バイク乗るようになって日常の運動量が急激に減り、結構デブってきたこともあって、先月辺りまでは全然走れなくなっていたのだけれど、それに比べれば今日はまだマシだった。
でも少し前の多少走れてたときに比べても未だ全然な感じ。
体重を落とさんとなあ。
取り敢えず10kgぐらい落とせばベスト体重ぐらいの感じ。
やっぱ週一ぐらいで走らんとダメんだんだろうなあ。
ジム通いすっかなあ・・・。
あと食事。
夜とか、買ってしまったものを勿体無くて食べてる感じなんよね。
多分これが一番悪い点だと思う。
買う量を減らすか、捨てる勇気を持つか。
2016/04/01
哲学的ゾンビの存在証明
よし、未だ4/1だな。
-----
哲学的ゾンビの存在が科学的に証明された。
結局のところ、デカルトが正しかったのだ。
心とは、我々の言語的乃至物理学-生理学的振る舞いについてのものではなく、「意識」というそれ自体独立した体系であったのだ。
「私」とは脳内の物理的なニューロン発火パターンによって接続された意識のことである。
例えば「見る」ということは、光が視細胞を刺激し、その興奮が神経を伝わって大脳の視覚野で画像処理された後、その処理された画像を意識が取得することに因る現象である。
意識は大脳というカルテジアン劇場の中に存在している小人である。
デカルトは後の哲学者から「ではその小人の意識はどうなっているのか」と批判されてきたが、結局のところ、小人それ自体が意識なのである。
これに因って、例えば直接的な知や所与に至る道筋が開けた。
つまりカント的色眼鏡の存在が明らかになり、それについて研究することができるようになった。
哲学の悲願であるところの、偏見を取り除くということへの道が開かれた。
我々は本当の意味での正しい知識を得ることができるのだ。
カント的色眼鏡の問題が解決すれば世界それ自体へのアクセスが可能となるので、例えば翻訳の不確定性は取り除かれるであろうし、また事実判断と価値判断とを正しく分けることができるようになり、それらの間の関係を解明したり科学から道徳を削ぎ落とすことが可能となる。
或は例えば人間と同じように振る舞うだけのアンドロイドは草薙素子的ゴーストを持つことはない、ということができ、従ってそのようなアンドロイドに対する人道的扱いについて考える必要が無くなった。
或は我々は中国語の部屋の住人である。
「理解しているかのような振る舞い」から「理解している振る舞い」を分けることができるということが証明された。
手を挙げるということから手が挙がることを正確に分けることが可能であるということが証明された。
我々は振る舞いではない。我々は世界ではない。我々は意識なのだ。
我々はカルテジアン劇場の前でコントローラーを握っている、「世界」というゲームのプレイヤーである。
普段、「プレイヤー」という概念はゲームの世界でのキャラクターを指すこともあればそのキャラクターを操作しているコントローラーを握っている人物のことを指すこともあり、それらを区別すことがない。
然し一寸目を向けるだけで、それらを区別することができる。
我々は、同様に、一寸目を向ければ、この世界の「プレイヤー」と意識の「プレイヤー」とを区別することができる。
つまり、この世はゲームなのだ。
-----
というような感じで、議論の飛躍や専門用語の無駄な羅列や「ポストモダン」調の話し方というような、人を騙すテクニックをできるだけ頭悪い感じで色々使ってみました。
書いてて頭が痛くなるぜ。
因みに風邪っぽくてマジでフィジカルに頭は痛い。
そういや私の頭髪が抜け落ちてトランプみたいな髪型になっているという酷い夢を見た。
なので今年のエイプリルフールネタはトランプ絡みでと思っていたのだけれど、余り良いのが思いつかなかった。
トランプが大統領に選出されることが統計学的に確定している、とか。一寸やめて欲しいけど。
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