2020/04/27

暇なら楽器のお誘い

テレワークやら自宅待機やらで通勤の必要が無くなり、一日のうちで自分自身に使える時間が増えた人も多いと思う。
逆に子供のある家庭なんかでは減っているかも知れないけれども。

何ら具体性の無いぼやっとした話をすると、近年の日本の社会的風潮として、「経済学」や「合理主義」と名乗るお手軽拝金主義の隆盛があるかも知れない。
勿論それらは学術としての経済学でもなければ主義としての合理主義でもない。
振る舞いとしては寧ろ想像力の制限や権威主義に近い。
例えばナチスドイツ的「アーリア人」を彷彿とさせるような、外から見ればアホらしい自己同一性物語の強化なんかに利用されたりする訳だ。
これらに何か数式のようなものを使われていたとしても「=」記号の両辺の同一性は保証されない。
また総ゆる利用可能な経済指標の相互関係を無視して日経平均株価だけで社会や政治を語ったりする。
それが恰も正気で真っ当な言説であるかのように、誇らしげに語られている。
これはバブル崩壊後からずっと通奏低音のように、主語の無い共産主義への勝利宣言や社会進化論至上主義と手を取り合いつつ、手を変え品を変えずっと続いており、人々は聞き慣れ過ぎて、今や権威ある思想であるかのように振る舞っている。
そんな世の中じゃポイズン。

お手軽拝金主義社会においては芸術なんか無駄でしかない。
何故ならそれについて何かを語ることができるだけの語彙を放棄したからだ。
総ゆる芸術的価値が社会や歴史との繋がりを失って、只オークションの落札価格のみが語られる。
現代において「普通の人々」というものは、只、2つの並んだ数の大きい小さいを比べることぐらいしかできない存在のことを指す。
その縮尺や単位が違っていたとしてもそれに気付くことすらまず無い。

然し私は、そろそろ人々がこのお手軽拝金主義社会に飽きてきているんじゃないかと感じても居る。
これはテレビの権威が失墜途中にあり、またインターネットが成熟期を迎えつつあり、旧来の権威主義者達が今度はどの権威や物語と自分とを同化させるべきか、次の拡大解釈可能な権威の醸成に注視している、という時期であるということも無関係ではないように思える。
音楽がつまらないものになって久しいが、然しこの流れの中でこのコロナ禍が加わることで、何か色々うまいこと行って、後に社会が好転するキッカケぐらいにはなってくれないものだろうかと期待しないでもない。
因みにインターネットの黎明期にも同じように期待したが、今や大体裏目だったことが解った。

よく忘れられがちなのだが、日本人というものが芸術に理解があるなんて言えた時代など未だ嘗て一度も無かった。
糞みたいな権威主義が滅び去ることはないし、人々が他の人について積極的に想像力を働かせることはない。
芸術というものは、社会的に見れば、そういった病に対する特効薬とは言えないものの、栄養の点滴ぐらいには作用しないでもない。
ビタミンとか必須アミノ酸のような感じで色々な栄養剤のうちの一つという程度なので、優れた芸術家は権威主義に囚われないという訳でもないけれども。

一般的に言って、人間をひとまとめにして平均的に見たら大抵馬鹿に見えるものだ。

でも君はどうなんだね。
普通、な訳ないよな?
若し自分を全くのノーマルだと思っているのであれば、その認識は是非とも変えて頂きたい。
また周りの各個人が皆普通に違いないとか普通であるべきという考えも捨ててしまえ。
君は全知全能ではないし、無知無能でもない。
他の或誰かができることが君にできないこともあれば、或人ができないことが君にはできることもある。

まあ兎も角、芸術というものは特に近代以降、自分自身や自分の社会や人間というものを、色んな視座から、できるだけ外側からとかもっと深い内側から見てやろうという欲求を含んでいる。
この「視座を変えてみる」という慣行が、たまに人生に深みを与えたり当たり前だと思っていた常識や慣行のおかしなところに気が付いたりすることの役に立ったりするのだ。
概ね人が「常識」と呼んでいるものは、単にその人がたまたま知っていることであったり、その人が頻繁には破ってはいないルールのことだったりするのだ。
「視座を変えてみる」という観点から見るなら、優れた芸術家というものは視座を変えてみた成果としての気付きを芸術の語彙で再記述して他者に伝えることができる者のことを謂う。
或は皆がそれを狂っている思っていてもなかなか言い出せないときに、それをちゃんと再記述して自らの名の下に発表できる者のことを謂う。

この芸術の語彙というのがちょいと曲者で、芸術作品に関わりを持ったことの無い者にも理解できる部分もあれば、多少の知識や経験が必要な部分もある。
また総ゆる語彙間に翻訳の不確定性が存在するように、例えば芸術作品の解釈とかにも唯一つの正解といった言説は存在しないが、それは芸術に意味が無いということでは勿論なく、その語彙が有意味である限りにおいて解釈の妥当性の議論は可能である。

で、よ。
一寸暇になった人に向けて、楽器とかやってみいひん?というお誘い。
これが本題。
みんなでアウトサイダーたろうぜという企画の一環。
漫画を描くも良し、詩作するも良しだけれど、私は楽器ぐらいしかできないので、楽器ぐらいなら他人に勧めることができるという都合だ。
楽器をやっても給料は上がらないけれど、寧ろ多かれ少なかれ金掛かるけど、人生は多少豊かになるよ。
楽器をやると音楽の聴こえ方が変わるので、PC の中の古いライブラリの何割かが無駄になったりするけども、多分残りの何割かはより理解が進んで、音楽というものを自分の中に取り込むことができるようになるよ。
今は YouTube があるので、幾らでも学び放題だし。
YouTube すげーよな。

では、何を弾くべきか。

ドラム

兎に角安く始められる。
あと体を動かすので、運動の好きな人にも合う。
需要に対してドラム人口が少ないので、バンドをやると引っ張りだこになる。
詳しくは ドラム編

ベース

バンドの「影の実力者」になれる。
最低限の初期投資額は若干高くなりがち。
詳しくは ベース編

キーボード

キーボードさえ弾けてしまえば一人で大体なんでもできる。
潰しが利く。
初期投資もランニングコストも安くあげることができる。
学習コストは高め。
詳しくは キーボード編

ギター

弾き語りとかできるし、キーボード程ではないけど割と一人でなんとかなる。
バンドをやると余る。
多分学習コストが一番低い。
詳しくは ギター編

という感じか。
一人で始めるならキーボード、誰かと一緒にバンドとか始めるならドラムがお勧めかね。