2016/11/13

トランプ大統領

アメリカの大統領選における選挙人制度というのもが狂った仕組みではあることは今更言うまでもないことなのかも知れない。
総取り制で総得票数と当選が乖離していることもそうだが、大統領選の仕組みの所為でアメリカ人は悲劇的にも実質的にはたった2種類の政党の中からどちらかを選択するしかないという状況に押し留められている。
同様に小選挙区といった狂った仕組みを持つ日本も他山の石としなければならない。
小選挙区もまた少数派を切り捨てる為の仕組みであり、更に悪いことに、最近の選挙では与党のみならず野党までもが「野党共闘」で有権者の選択の幅を更に狭めようとしている。
マトモな質問をする意志と能力の両方が欠落している野党と法案を強行採決してもその事実を半日で忘れられるような幸福な与党しか居ない国会では、議論などという高級なものはここ何年と口にしておらず、単に椅子の数で話をするようになってしまっており、それ故になら議員は人数ばっか居ても無駄なのでじゃあ減らそうかという話になり、結果少数派は更に厳しい立場に立たされることとなる。

これが我々の目指すべき民主主義の形なのであろうか。
これが「民主主義」という語で我々が語ろうとしているところの民主主義であったのだろうか。
例えば国会中継を見てしまって吐き気を催さずに済む日は来るのだろうか。

「チョコレートの配給が20g/週に増加しました」とアナウンスされたが、昨日は20g/週に「減らす」と発表された筈で、もっと言えば先週は30g/週だった、ということを誰も覚えていない。
ジョージオーウェルの1984が予言の書とならないことを祈る、と言えたのはもう過去のことなのかも知れない。

ブレグジットといい、トランプ大統領といい、短絡的な排他主義とポピュリズム或は「英雄的であるかのように振る舞う(なんかデカいことを言う)人物や団体への同化への欲求」というものは、ナチスの昔から我々のシステムの中をいつもウロチョロしている。
ここ大阪では特に馴染み深いものだ。或は東京でも似たようなものだろう。
これは選挙の仕組みの問題、或は選挙の仕組みに因って我々が権力から少数派を切り捨ててきたという来歴に因る問題、だけに負っている訳ではないだろう。
然し・・・こういった現前する達成されていない民主主義についてのみならず、我々がそれを民主主義的だと思ってきたシステム像についても、じっくり再考すべき時代がそろそろ来ているように思える。