2015/12/01

水木しげる

今日、しげーさんが死んだ。
昨日だったかも知れないが私には分からない。

フハッ!
なんとなしに私の方がどうせ先に死ぬもんだと思っていたが、先を越されてしまった。
ナンだカンだで取り敢えず100歳ぐらいは行くんだろうと思っていたのだけれど。

水木しげるの功績は、まあ戦争漫画だとか古典取材ものだとか色々あるが、矢張り妖怪についてのものが一番大きいだろう。
今日の日本の一般的な妖怪観を作ったのは大半は水木しげるの仕事に依っていると言っていいように思える。

今日妖怪の名で呼ばれているものの中には、恐らくは明治維新の神仏分離のドサクサで、スターリニズム的改竄の要領で、その土地で畏れ崇められていたモノについての物語が日本神道の神の名前の付いた物語にすげ替えられる際に余計な物語や属性が別の存在として切り離されたりして、物語的権威を失って忘れ去られつつあったものもあるだろう。維新って奴はホント文化に対して要らんことばっかするよな。
柳田國男辺りは一つにはそういうモノを掬い取ろうとしたんだろう。
或はよく言われるように「夜道を独り歩いていて一向に進んだ気がしない」みたいななんか怖い現象やその理由付けに名前が付いたものもあるだろう。
水木しげるはそういったモノの多くに姿を与えて、更に喋らせた。
妖怪に実体感と共に理性を与えた訳だ。
只法則性や属性に従うばかりの超然と在るモノではなく、触れることができて或程度は対話可能な存在として描いた。
「妖怪」という語が今日の妖怪観で以て使用されるような「妖怪」になったのは、この功績が大きいんじゃないかと私は思っている。

水木しげる無しにはその後の日本の文化は大きく変わっていたであろう。
少なくとも民俗学の人口は少なく裾野は今よりもっと狭かっただろう。
我々は今より更に自分達自身やその来歴を語る術を持たず無知であり、今より更にお手軽に、ワイドショーのコメンテーターが垂れ流すような戯言だの権力者の希望的観測だのに右往左往させられていたのだろう。
トトロも京極夏彦も(少なくとも今のようには)無かっただろうし。
妖怪は単に馬鹿げたものかモンスター的存在かであったかも知れない。
吸血鬼萌えとかまず無いぜ?
もしかしたら「聖☆おにいさん」とかが許容される土壌になるのにもっと時間が掛かったかも知れないし、イェイツ的ケルト物語や北欧神話が或程度日本で受け入れられるのも、ファイナルファンタジーだけでなく、多分水木しげるの作った土壌あってこそなんじゃないかね。
「妖怪」という語にくっ付いてくる色々な物の捉え方や発想がその後の日本の文化の形成に意外な程大きく連鎖的でサブリミナル的な影響を与えているように思われる。

水木しげるには私も直接間接を問わずすげー影響を受けてる。
多分音楽で言うとツェッペリンぐらい、文学では芥川ぐらい。
私は彼らの作った土壌の上に歩いているのだと自分でハッキリ自覚できるぐらい。
彼についてきちんと語るには私の人生は余りに短過ぎる。

そうか。死んでしまったか。

日本の仏教では仏になると言い、神道では神になると言う。
シゲリストはじゃあベタな感じはするけれど、妖怪になるとでも言おうか。天国は南国な。
私が死んだら妖怪になったと思って呉れ給え。

あ、フライング・スパゲッティ・モンスター教徒はどうしようか。
素麺ぐらいにしとこうか。
オーメンがソーメンになる・・・フフ。