もうこんな時間。
すべきことは、ビミョウに進んでいる。
ビミョウ過ぎるが。
煩わしい雑事も一先ずケリがつき、目を閉じても暗闇しか見えないくらいには良くなった。
2006/07/30
2006/07/29
2006/07/27
2006/07/26
2006/07/25
2006/07/24
2006/07/23
2006/07/21
御髪、寿司、水分
雨自体はそんなに嫌いではないのだけれど、私は魅惑のテンパーなので、こう湿気が多いと、私の長めの御髪がどう足掻いたってファンキーに爆発するのです。
そういう訳で、雨って、鬱陶しい。
雨に濡れるのは、結構好きです。
そのあと電車に乗って帰らなくてはならないということを除くのなら。
水も滴る魅惑のテンパー。
ヤバそうな寿司というものを食した。
フツーのパックの寿司。
シャリはなんかカルキの匂いがしていてパサパサモロモロで、宛も白いサフランライス使ってんのかと思う程。
ネタは乾いて、端の方が蝋細工のように固まっている。
キョービ回る寿司でもこんなの無いぜよ。
てゆーかキョービの回るのは、ありゃあれで侮れぬが。
私は今まで寿司ってのは、江戸時代はいざ知らず、兎も角今日においては高級な食べ物なんだという印象を持っていたのだけれど。
私がなんか病気かなんかになったら、大方これの所為です。
そういう訳で、雨って、鬱陶しい。
雨に濡れるのは、結構好きです。
そのあと電車に乗って帰らなくてはならないということを除くのなら。
水も滴る魅惑のテンパー。
ヤバそうな寿司というものを食した。
フツーのパックの寿司。
シャリはなんかカルキの匂いがしていてパサパサモロモロで、宛も白いサフランライス使ってんのかと思う程。
ネタは乾いて、端の方が蝋細工のように固まっている。
キョービ回る寿司でもこんなの無いぜよ。
てゆーかキョービの回るのは、ありゃあれで侮れぬが。
私は今まで寿司ってのは、江戸時代はいざ知らず、兎も角今日においては高級な食べ物なんだという印象を持っていたのだけれど。
私がなんか病気かなんかになったら、大方これの所為です。
2006/07/20
2006/07/19
2006/07/18
2006/07/17
2006/07/16
2006/07/15
十穀断ち
一寸体を鍛えてみた。
のだが、自らの余りの筋力の無さに驚いている。
腕立て伏せがこんなにできないとは。
体ってのがこんなに重かったとは。
腕がプルプルしている。
腹筋なんか、昔は自分で何回やったか分からなくなるぐらいできたのに(遠い目)。
うーん。
このひょろい肉体、一寸真面目に鍛えてみるのも面白いかも知れない。
序でに神経の方も良くなるだろう。
因みに現在、ちょいとイキってる私の腹をヘコます為に、十穀断ち中。
一応言っておくと、低炭水化物ダイエットのことですよ?即身仏になったりしませんよ?
あんまり穀は断ちたくなかったのだけど、或程度の健康は保てそうで、それでいて手っ取り早そうな方法ということで、これしか思い付かず。
でもやっぱ、人間、最低限の炭水化物は必要みたいねえ。
炭水化物無しだとどうもイラつく。
こりゃ確かになんかの修行にはなりそうだ。
のだが、自らの余りの筋力の無さに驚いている。
腕立て伏せがこんなにできないとは。
体ってのがこんなに重かったとは。
腕がプルプルしている。
腹筋なんか、昔は自分で何回やったか分からなくなるぐらいできたのに(遠い目)。
うーん。
このひょろい肉体、一寸真面目に鍛えてみるのも面白いかも知れない。
序でに神経の方も良くなるだろう。
因みに現在、ちょいとイキってる私の腹をヘコます為に、十穀断ち中。
一応言っておくと、低炭水化物ダイエットのことですよ?即身仏になったりしませんよ?
あんまり穀は断ちたくなかったのだけど、或程度の健康は保てそうで、それでいて手っ取り早そうな方法ということで、これしか思い付かず。
でもやっぱ、人間、最低限の炭水化物は必要みたいねえ。
炭水化物無しだとどうもイラつく。
こりゃ確かになんかの修行にはなりそうだ。
2006/07/14
2006/07/13
2006/07/12
2006/07/11
2006/07/10
2006/07/09
ヴァレンシア
ヴァレンシアというミュージシャンが居る。
Queenのフォロアーで、1994年のアルバム『GAIA』で有名。
綴りは「Varensia」。
私は彼の音楽を少しだけ気に入っている。
で。
昨日、タワレコをうろついていたら、「ヴァレンシア」のタグのところに私の知らないものが入っていた。
而もジャケットが、なんかいつものヴァレンシアのと雰囲気が違う。
田舎臭い背景に、ボケッと斜め上を向いた短髪のモサい男が、ウェディングドレスを着たパッとしない女をお姫様抱っこしている写真がジャケットになっている。
今までなら絶対にあり得ないジャケットだ。
何か心情に重大な変化でもあったのだろうか。
ほう、興味深い。
これは若しかしたら、買って聴いてみる価値があるんじゃないだろうか。
で、輸入盤が安かったから、それを買ってみることにする。
で、聴いてみたんだけど、一曲目、なんかえらいエモコアっぷり。
ナンじゃこりゃ。
歌い方も、彼にしては全然神経使えてないし、而もなんか声までえらい変わったような。
どこにでもある、使い古された、変わり映えしない、元気だけが取り柄の、ゲンナリする程普通のエモコア。
・・・ヴァレンシア、御乱心なされたか?
流石に二曲は続くまい、と思って二曲目を聴くと、これもまたどうしようもない普通のエモコア。
次の曲も、その次の曲も。
ん?これは一寸おかしい。
ということで色々調べてみると・・・。
ヴァレンシアというバンドがある。
エモコアバンドで、2005年、アルバム『This could be a possibility』でデビュー。
綴りは「Valencia」。
はい、それでした。
成程ねえ。
幸いエモコアとしては「普通」ぐらいのできではあるので、資料として一枚持っててもいいなじゃないかと思って自分を納得させる。
まあそもそもエモコアの方法論を用いて「普通」に満たないものを作る方が難しいのだが。
若しエモコアの方法論を用いた作曲で失敗することが可能であるとすれば、それは何か創造的な実験に失敗したのか、或はそもそも最低限の音楽的感覚すら全く持っていなかったかのどちらかである。
Queenのフォロアーで、1994年のアルバム『GAIA』で有名。
綴りは「Varensia」。
私は彼の音楽を少しだけ気に入っている。
で。
昨日、タワレコをうろついていたら、「ヴァレンシア」のタグのところに私の知らないものが入っていた。
而もジャケットが、なんかいつものヴァレンシアのと雰囲気が違う。
田舎臭い背景に、ボケッと斜め上を向いた短髪のモサい男が、ウェディングドレスを着たパッとしない女をお姫様抱っこしている写真がジャケットになっている。
今までなら絶対にあり得ないジャケットだ。
何か心情に重大な変化でもあったのだろうか。
ほう、興味深い。
これは若しかしたら、買って聴いてみる価値があるんじゃないだろうか。
で、輸入盤が安かったから、それを買ってみることにする。
で、聴いてみたんだけど、一曲目、なんかえらいエモコアっぷり。
ナンじゃこりゃ。
歌い方も、彼にしては全然神経使えてないし、而もなんか声までえらい変わったような。
どこにでもある、使い古された、変わり映えしない、元気だけが取り柄の、ゲンナリする程普通のエモコア。
・・・ヴァレンシア、御乱心なされたか?
流石に二曲は続くまい、と思って二曲目を聴くと、これもまたどうしようもない普通のエモコア。
次の曲も、その次の曲も。
ん?これは一寸おかしい。
ということで色々調べてみると・・・。
ヴァレンシアというバンドがある。
エモコアバンドで、2005年、アルバム『This could be a possibility』でデビュー。
綴りは「Valencia」。
はい、それでした。
成程ねえ。
幸いエモコアとしては「普通」ぐらいのできではあるので、資料として一枚持っててもいいなじゃないかと思って自分を納得させる。
まあそもそもエモコアの方法論を用いて「普通」に満たないものを作る方が難しいのだが。
若しエモコアの方法論を用いた作曲で失敗することが可能であるとすれば、それは何か創造的な実験に失敗したのか、或はそもそも最低限の音楽的感覚すら全く持っていなかったかのどちらかである。
2006/07/08
2006/07/07
2006/07/06
2006/07/05
2006/07/04
2006/07/03
2006/07/02
2006/07/01
サイケ
眠い。
余りに眠過ぎて、洗顔するときなど、目を閉じると、かなりサイケな世界像が目の前に広がる。
自分の記憶とパソコンのハードディスクに記録されているデータとの境目が曖昧だったり。
「自分」なるものが存在するということをすっかり忘れていたり。
「ん?何か四角くない記録体系があるぞ?」みたいな。
「この記憶はパソコンのものではないはずだ。記憶媒体が何か他のものへと拡張されてゆく・・・。これを認識してるのは何だ?」みたいな感じで。
意味不明な世界像。
それから、「これは私だ」ということに気が付いて、パソコンと人間の違いについて哲学者が考えそうなことのリストが頭の中で流れ始めるのだけれど、私はそういう頭の中の状態を外側から見て楽しんでいる。
「今沢山活発に頭を使っているように思えるのは、このサイケな世界像が今まで私が考えもしなかった真新しい世界像だからだ。」ということが何かの結論として頭の中で提出され、それが何回も繰り返されるのだけれど、私はその結論が何回も頭の中で繰り返されるのを、何か壊れたコピー機を見るように見ている。
まあそんなけ眠い訳ですから、もうさっさと寝ます。
余りに眠過ぎて、洗顔するときなど、目を閉じると、かなりサイケな世界像が目の前に広がる。
自分の記憶とパソコンのハードディスクに記録されているデータとの境目が曖昧だったり。
「自分」なるものが存在するということをすっかり忘れていたり。
「ん?何か四角くない記録体系があるぞ?」みたいな。
「この記憶はパソコンのものではないはずだ。記憶媒体が何か他のものへと拡張されてゆく・・・。これを認識してるのは何だ?」みたいな感じで。
意味不明な世界像。
それから、「これは私だ」ということに気が付いて、パソコンと人間の違いについて哲学者が考えそうなことのリストが頭の中で流れ始めるのだけれど、私はそういう頭の中の状態を外側から見て楽しんでいる。
「今沢山活発に頭を使っているように思えるのは、このサイケな世界像が今まで私が考えもしなかった真新しい世界像だからだ。」ということが何かの結論として頭の中で提出され、それが何回も繰り返されるのだけれど、私はその結論が何回も頭の中で繰り返されるのを、何か壊れたコピー機を見るように見ている。
まあそんなけ眠い訳ですから、もうさっさと寝ます。
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