日常的な、余りに日常的な
日々の憂鬱な記録
2005/08/30
カリンカ
怒濤の一週間が漸く明日で終わる。
デュヤデュヤデュヤデューヤーヤー。
怒濤と言っても、恐らく普通の人にはこのくらいの忙しさは普通のことなのだろう。
然し私の時間の流れは現代社会のにマッチしていない。
私が平静を保つ為には余暇が十分に必要である。
因みに余暇が十分だからと言ってそれだけで私の平静は保証される訳ではない。
必要条件だが、十分条件ではない。
私の平静は燃費が悪い上にもっと多くの要素を必要としている。
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