2005/08/21

文字列、理解するということ、物語

本ばかり読んでいた。
が、脳が働かないので、文字列が言葉として認識されない。
従って本を読んでいると言うよりは寧ろ一塊の文字列を順番に覧ているような感じだ。
自分にとって意味不明な画の展覧会を覧る羽目になったとしたら、多分こういう風なのだろう。
或は聴いたことのない音楽を聞いたりするとこうなるのだろう。
只時間を潰しているのではない。苦痛を伴うのである。
意味が解らないものに注意を向け続けることは難しい。
而もその意味が解らないものが、実際はちゃんと意味があるんだと謂われるようなものであるときには、苦痛は増すように思われる。
或種の芸術が一部の人に熱狂的に受け入れられているにも拘らず、一部の人からは無視されるよりも嫌悪されているのにはこういったことが関係しているのかも知れない。
或は或種の独特の物語を背負っている人が、他の或人からその物語について理解されず、そして理解されていないが故に不当な嫌悪感を抱かれることがあるとすれば、それはまたそういうことが関係しているのかも知れない。

脳が働かないから意味不明な日記になった。
ニホンゴ、ムツカシネー。
さあ、苦痛を抑圧し、嫌悪して見せよ。
左もなくば見事理解して見せよ、或は単に無視せよ。
さて如何せん。
私なら先ずムイシキヲイシキカスルネー。