2010/11/08

ブリトニー、なんて禍々しいんだ・・・

久しぶりに家でブリトニーに会ったよ。

風呂に入った後、PCでメールチェックなどしてたら、足の裏に何かガサゴソと触った。
机の下にはPCやら周辺機器やらの電源ケーブルが通ってるので、三心ケーブルのコネクタから出てるアースコネクタにでも触ったかと思ってフと見てみると、ブリトニーが、あのブリトニーが、私の足の裏に取り付いてモゾモゾともがいていた。
あの黒光りしたすばしこい、嫌悪を催す禍々しいフォルムの、G. ブリトニーが。
流石にこれには私も結構な大音声で「ポアッ!」と叫んでしまった。
ブリトニー、即、Die。
逃げるブリトニーをゴキジェットでポアする。
あれ、なかなか死なないのね。
執拗に追いかけていって、確実に死ぬまでゴキジェットを噴霧する。
ブリトニーの亡骸は塵取ですくってゴミ箱に埋葬し、ゴミ袋の口を厳重に縛って封印する。

てか足の裏とかマジ勘弁して欲しい。
この前は百足で同じようなことがあったし。
机の下辺りに何かホイホイ的な罠でも仕掛けておくべきか。

まだ足の裏に感覚が残ってるよ・・・。

2010/11/07

酒でも呑むか

Macallanうめえ。
私は酔うのは嫌だし、酒が好きでもないし、呑んで何か忘れられる訳でもないし、沢山呑める訳じゃないけど、良いウィスキーなら呑んでもいいという気になる。
咽の焼けるのが嫌で最近はウィスキーマックにして呑むようにしてる。
然しそれだとジンジャエールの瓶一本使い切る分は呑むことになるので、呑むアルコールの量が増えて普通にストレートで呑むのと余り変わらないかも。
ショットグラスに一杯分ぐらい呑めればそれで満足なんだけど、瓶のジンジャエールを使うと開けたら空けないと不可ないので、そうもいかなくなる。
てゆうかウィスキーマックにして一杯だけ呑んで、後はジンジャエールだけで飲んでもいいんだけど・・・。
まあどっちでもいいや。
酒なんざ無ければ無くてもいいし。
紅茶とかのが余程うめえ。

2010/11/06

給仕

一寸お高いイタメシ屋に行ってパスタなど食す。
店の雰囲気も落ち着きがあり、食器や調度品にもセンスがあり、料理も良く、給仕もよく心得ていて、良かった。
例えば内装だけ取り繕って下らない料理を出したり給仕が十分な教育(食器の置き方の意味とか気の遣いどころなど)を受けられていないのに値段ばかり取る店ではなく、ちゃんとした店。
でも金曜の夜なのに客の入りは非常に少なく、なんだか凄く勿体無い気がした。
良い店なんだよ・・・。


一寸した言葉の話。
例えば「ウェイター/ウェイトレス」と書くより「給仕」と書く方が、なんだか偉そばっているように見える。
つまり私がその職にある者を見下しているかのような響きが何故かある。
勿論そんなことはないんだけど。
私は、まあ下らない人間だけれど、そこまで落ちちゃいない(と思いたい)。
然し「給仕さん」と書くのは、給仕は給仕なのにそのまま「給仕」と呼ぶことが職にある人を見下すことになって憚られることであるということを宛も認めたかのような格好になり、逆に慇懃無礼の感があるのでなんか嫌。
上を例に採ると、「給仕もよく心得ていて」と言うと「オメーなんぼのもんじゃ」と思われるかも知れないがそれは不当な罵りで、逆に「給仕さんもよく心得ていらして」とすると寧ろ慇懃無礼の感がある、ということ。
でも「メイドさん」というのは、只「メイド」と書くより好きなんだけどなあ。
この辺が私の分水嶺かねえ。
あと或人物を指すとき、職業名等の後に「〜の人」を付けると柔らかい表現になることもあるけれど、上と似たような理由で、それもなんかあんまし使いたくない表現なのよね・・・。
例えば、クレジットカードをポンと発行してもらえそうな職業には「〜の人」を付けても大して柔らかくする効果は無いけれど(ex. 「大学教授がさあ、」/「大学教授の人がさあ、」)、そうでないときは効果があって(ex. 「バイトがさあ、」/「バイトの人がさあ、」)、それがなんか嫌。
誇張して言うと、一つには、呼吸のように自然に職業差別をする世間が「イエ私は職業差別なんかしませんよ」と上辺を取り繕おうとすることに付随して発生する圧力が存在し、私が「〜さん」「〜の人」の表現を用いることでその圧力に屈して、そういう下らない部分を持った世間のまさにその下らない部分に拠って自分がその厭な世間に同化してしまうような気がして、それが嫌なんだと思う。
うーん、でも「給仕さん」とか「バイトの人」とした方が音韻的に良い場合もあるしなあ。
まあその程度の拘りということで。


私も昔、馬鹿みたいな掛け声を強要されるような(あれは本当に嫌だった)チェーンの居酒屋から割と洗練された対応が要求されるレストランまで、色んなグレードの色んな店で給仕をしていたこともあり、思い入れがあるんだ。
なので、店で飲み食いすると、自然と給仕を観察して評定したりしてしまう。
「この人はすごい」とか「もっとここに着眼すればいいのに」とか。
若い頃は私に給仕の仕事は向いていないと思っていたし実際そうだったんだろうけれど、今給仕に戻ったらそれなりのクオリティを出せるような気分にもなる。
まあ多分実際は基礎的なところでアタフタするだろうけど。

2010/11/05

ヌルいプラトン

ちょー久しぶりにプラトンなど読む。
「パイドロス」とか、ヌルめのやつを。

哲学関係無しに読めば割と楽しめる。
小説を読むように読む。
「或事柄について議論する以前にその事柄の本質を理解していないとまともな議論なんてできない」的なことが書いてあっても、それはそれとして気に留めず、さらっと読み流す訳だ。
只管打読の心構えで。

あと古代ギリシャに関する教養として。
いろんな古代ギリシャっぽい名前が出てくるので面白い。
読み物として読めば意外とさらっと読めてしまうので、割といいかも。

まあそんな感じで。

2010/11/03

サンデル読んでる?

なんて言うようになったってことは、私も年食ったってことか。

自分が学生の頃専門的に勉強していたこと(或は勉強していることになっていたこと)を説明することは、元哲学の学生に比べたら元哲学の学生以外の人には簡単なのだろうか。
或は私がアナクシマンドロスとか集合の実在性とか、或哲学者について或はある哲学的概念について集中的に研究してたのだったら、或は簡単だったのかも知れないけど。
てか私だからか?
確かに能力も無いし努力もしなかったのに、分を超えて手広くやってたように思う。
でも全てが関係してくるし、哲学の徒が知らなくていいことなんか何一つ無いしなあ。
実際もっと色々知っておくべきだったとも思う。
努力しなかったのが悪いのか。
そうですか。
そうですわ。

で、いつも訊かれて悩む。
一応自分では、分析哲学の系譜の末端(の上澄み)を足場にして、そろそろ重心を倫理学やら道徳哲学やら政治哲学やらへと移動させないとなあと思っているうちにタイムオーバーになったような感じに捉えている。
中心問題は政治だとか倫理だとかだとは思っていたし、勉強しているのはその為の哲学だと思っていたのだけれど、結局そこにそんなに踏み込めなかったような感じで。
でもこういうふうに言ったて専門外の人には解らない。まあ説明では専門の人にも解らないだろうけど。
なんで、「言語とか心とか社会とか、まあそういった感じのことについてです」とかなんとか、モゴモゴしながら適当に濁すんだけど、これでは殆ど何も意味していないように思う。
どう説明するのがいいんだろう・・・。
できるだけ簡単で短いけれど当を得た説明が好ましい。

マイケルサンデルの有名になったおかげで、哲学というのは「答えの出る訳のない抽象的な問題をダシにして、小難しげな言葉遊びを意味があるかのように偽装すること」ではなく、意味のある問題を立ててそれに意味のある形で答える為のものである、という認識が多少は広まるんじゃないかと期待している。
マイケルサンデルのあれは観てないので余り何も言えないけど。
まあそれは兎も角として、哲学にもう少し人気が出れば、私が何をしてきたのか説明するのも多少楽になる日でも来るかも知れない。

2010/11/02

ポテチアディクション

ポテチ食べたい。
なんかの中毒症状のようにポテチが食べたくなる。
どうしたんだろう。
ジャンクフードでもいいのかねえ。
自分の欲求が解らない。

メモ。
「虫が人に踏まれて潰れる」より「人が虫を踏み潰す」の方が重要な意味があるような気分になる。
この二つを単に同じ事柄についての二つの記述と侮ると、この気分は単なる気紛れの気分になってしまう。
多分そんな簡単なことじゃない。

まあそんな感じで。

2010/11/01

披露宴

友人の結婚披露宴に呼ばれて行く。
姫路まで。
意外と遠かった。
見立てより時間が掛かって、1時間前に着いて姫路界隈を徘徊する予定が、電車の乗り継ぎミスもあって結構ギリギリの時間になる。
あぶねえ。

披露宴で美味いものを食わせて頂いたり写真を撮ったりする。

失態を演じる。
ここでこれをすべきということをせず、ここでこれをすべきでないということをした。
ここはこうすべきだというところにそうでないことをしたり。
てゆうか今日は私は色々なんか駄目だった。
否、これが私か。
当たり前の言葉が出ず、動きも悪い。
判断が絶望的に遅く、やっと下した判断も大抵間違っている。
参ったな、これが私か。
脳が水中歩行のもどかしさ。
多分思考がゲル状に融け出しているんだ。

「エスカレーターを縦に回転するお年寄り」を救出した後、皆で一杯ひっかけて帰る。