朝、酷く疲れていて、タウリン3000mgを接種する。
もうなんか今日は何やっても駄目な気がする。
出かけようとして靴を履くと、履いた靴の下から未だ羽も生え揃わないthe Gの死骸。
クロG。
辛うじて踏み潰さないで済んだ。
これが靴の中だった可能性を想起して死にそうになる。
もー。
今日はもうドツボ決定。
なんで奴等はあんなに嫌悪感を誘うフォルムをしているんだろう・・・。
奴は死んでいたし、急いでいたので、そのままにして家を出る。
帰ってきたら、蒸し暑く薄暗い家の中、当然奴がお出迎えする訳だ。
もー。
踏み潰さないようにして靴を脱ぎ、家の中に入る。
ティッシュの上から嫌々ながら奴を摘むと、殊の外柔らかい。
うわー、もう厭だー。
そして摘み上げようとしたとき、奴が微かにグニュリと動くのが指先に伝わってくる!
WRYYYYYYYYYYY!
怨トロGッ!
指がッ!指がッ!
どうかマジ勘弁してください。
2010/06/30
2010/06/28
TrackballWorks for Windows 1.01、使ってみた
SlimBlade Trackball用の最新の純正ドライバが今月の始めに出てたみたい。
TrackballWorks for Windows 1.01。
64bit版Windows 7にも対応しているので、これでやっと、今後新しいPCをWindows 7のx64で組んでもOKになった訳だ。
因みに今は未だWindows XPがメイン。
あとSlimBlade TrackballだけでなくExpert MouseもWindows 7で使えるようになる。
ということで、ダウンロードしてみる(→Kensington)。
以前のドライバをアンインストールして、TrackballWorksをインストール、その後一度再起動。
タスクトレイのアイコンをダブルクリックでカスタマイズ画面が出る。
四つのボタンそれぞれに機能を割り当てることができる。
アプリケーションのランチとか、結構色々割り当てられる。
が、ボタン二つ同時押しに機能を割り当てることができない・・・。
ハードウェアのリビジョンが古過ぎるとかか?
因みに私のは1.05らしい。
新しいものならできるのか?
やっぱExpert Mouseにしときゃよかったのかなあ。
Expert Mouseも結局Windows 7でボタンカスタマイズができるようになった訳だし。
でもSlimblade Trackballを買った時点では、Expert MouseがWindows 7でボタンカスタマイズができるようになる見込みは少なかったんだよ・・・。
ということで、かざぐるマウスは未だ手放せない。
TrackballWorks for Windows 1.01。
64bit版Windows 7にも対応しているので、これでやっと、今後新しいPCをWindows 7のx64で組んでもOKになった訳だ。
因みに今は未だWindows XPがメイン。
あとSlimBlade TrackballだけでなくExpert MouseもWindows 7で使えるようになる。
ということで、ダウンロードしてみる(→Kensington)。
以前のドライバをアンインストールして、TrackballWorksをインストール、その後一度再起動。
タスクトレイのアイコンをダブルクリックでカスタマイズ画面が出る。
四つのボタンそれぞれに機能を割り当てることができる。
アプリケーションのランチとか、結構色々割り当てられる。
が、ボタン二つ同時押しに機能を割り当てることができない・・・。
ハードウェアのリビジョンが古過ぎるとかか?
因みに私のは1.05らしい。
新しいものならできるのか?
やっぱExpert Mouseにしときゃよかったのかなあ。
Expert Mouseも結局Windows 7でボタンカスタマイズができるようになった訳だし。
でもSlimblade Trackballを買った時点では、Expert MouseがWindows 7でボタンカスタマイズができるようになる見込みは少なかったんだよ・・・。
ということで、かざぐるマウスは未だ手放せない。
2010/06/27
目指せ!第二のクリプキ
私的録音補償金って、結局のところ、具体的にどういった事柄についての「補償」なんだろうか。
或楽曲について、その楽曲の入ったCDを買ってきてCDプレイヤーで音楽を聴いて、それ以外にiPodでもその楽曲を聴くとき、例えば、「本当ならCDとは別にiPod用に楽曲データを(何故か)買わなければならない」とか「本来iPodに楽曲データを転送することに課金する権利を(何故か)著作権管理団体が保持している」ということを主張するのでないなら、一体、具体的に何が損なわれているのだろう。
そこで奇跡論理学。
発明しました。
普通の論理学、例えば古典的論理学の三段論法だと
大前提:全ての人間は死すべきものだ
小前提:ソクラテスは人間である
結論:従ってソクラテスは死すべきものだ
というふうな感じだが、
奇跡論理学では例えば
大前提:全ての人間は死すべきものだ
小前提:ソクラテスは人間である
奇跡:ここで奇跡が起こる
結論:従ってソクラテスは不死である
というような構造をしている。
この奇跡論理学を以てすれば、例えば私的録音補償金制度にだって何らかの正当性を見出すことができるだろう。
つまり「特に具体的に何が損なわれている訳でもないけれど、(奇跡が起こったので)私的録音に関して補償が為されるべきだ」という主張が極めて論理的な主張として認められる。
と、それとは関係無い話。
「全ての人間は死すべきものだ」と言うとき、「全ての人間」が具体的には何を意味しているか、或は何を意味していると捉えることが正しいのかということは、述部に何が来るか、例えば「死すべきものだ」が来るのか或は「いつかは滅びるものだ」が来るのか、にも幾らか依存している。
普通、「全ての人間は死すべきものだ」と言うとき、「全ての人間」というのは、私だとかソクラテスだとか、一人一人の個人を個物(?)として捉えるものだ。
つまり人間なら誰でも死から逃れることはできない、といった話だ。
自然とそう解釈するものだと思う。
普通、この場合の「全ての人間」を「人類全体」とか「人間というカテゴリーそのもの」のようなものとして、つまり「(一人一人の)人間」でなく「全ての人間」を個物(?)として解釈しはしない。
「死すべきものだ」が述部に来ると、「全ての人類」を「人類全体」として解釈することは困難を伴う。
然しこれが「全ての人間はいつか滅びるものだ」となると、「全ての人間」は「人類全体」のようなものとして捉えた方が楽かも知れない。
つまり、人類はあと100万年もすればスッカリ死滅している、とかいう話だと想像することができる。
或はこの場合でも「全ての人間」を「一人一人の個人、全て」と捉えることも、まあ可能だろう。
つまり「死ぬ」を「滅びる」と言い換えたものだとして考えて、人は誰でもいつかは死ぬもんだ、ということを意味しているんだと捉える訳だ。
ということで、例えば
・全ての人間はいつか滅びるものだ
・ソクラテスは人間である
・従って、ソクラテスは滅びるものだ
としたとき、場合によっては上の二つの前提が結論を導き出す助けになっていないようなこともあり得る訳だ。
で、だから何?という話。
或楽曲について、その楽曲の入ったCDを買ってきてCDプレイヤーで音楽を聴いて、それ以外にiPodでもその楽曲を聴くとき、例えば、「本当ならCDとは別にiPod用に楽曲データを(何故か)買わなければならない」とか「本来iPodに楽曲データを転送することに課金する権利を(何故か)著作権管理団体が保持している」ということを主張するのでないなら、一体、具体的に何が損なわれているのだろう。
そこで奇跡論理学。
発明しました。
普通の論理学、例えば古典的論理学の三段論法だと
大前提:全ての人間は死すべきものだ
小前提:ソクラテスは人間である
結論:従ってソクラテスは死すべきものだ
というふうな感じだが、
奇跡論理学では例えば
大前提:全ての人間は死すべきものだ
小前提:ソクラテスは人間である
奇跡:ここで奇跡が起こる
結論:従ってソクラテスは不死である
というような構造をしている。
この奇跡論理学を以てすれば、例えば私的録音補償金制度にだって何らかの正当性を見出すことができるだろう。
つまり「特に具体的に何が損なわれている訳でもないけれど、(奇跡が起こったので)私的録音に関して補償が為されるべきだ」という主張が極めて論理的な主張として認められる。
と、それとは関係無い話。
「全ての人間は死すべきものだ」と言うとき、「全ての人間」が具体的には何を意味しているか、或は何を意味していると捉えることが正しいのかということは、述部に何が来るか、例えば「死すべきものだ」が来るのか或は「いつかは滅びるものだ」が来るのか、にも幾らか依存している。
普通、「全ての人間は死すべきものだ」と言うとき、「全ての人間」というのは、私だとかソクラテスだとか、一人一人の個人を個物(?)として捉えるものだ。
つまり人間なら誰でも死から逃れることはできない、といった話だ。
自然とそう解釈するものだと思う。
普通、この場合の「全ての人間」を「人類全体」とか「人間というカテゴリーそのもの」のようなものとして、つまり「(一人一人の)人間」でなく「全ての人間」を個物(?)として解釈しはしない。
「死すべきものだ」が述部に来ると、「全ての人類」を「人類全体」として解釈することは困難を伴う。
然しこれが「全ての人間はいつか滅びるものだ」となると、「全ての人間」は「人類全体」のようなものとして捉えた方が楽かも知れない。
つまり、人類はあと100万年もすればスッカリ死滅している、とかいう話だと想像することができる。
或はこの場合でも「全ての人間」を「一人一人の個人、全て」と捉えることも、まあ可能だろう。
つまり「死ぬ」を「滅びる」と言い換えたものだとして考えて、人は誰でもいつかは死ぬもんだ、ということを意味しているんだと捉える訳だ。
ということで、例えば
・全ての人間はいつか滅びるものだ
・ソクラテスは人間である
・従って、ソクラテスは滅びるものだ
としたとき、場合によっては上の二つの前提が結論を導き出す助けになっていないようなこともあり得る訳だ。
で、だから何?という話。
2010/06/26
快挙なんだろう、快挙に違いない
どうせ全敗だろうと思っていたサッカー日本代表が、いつの間にやら、なんと決勝トーナメントに出れることになってるそうな。
わお。
そういや最近全然サッカーに関する事柄についてチェックしていない。
日本代表に誰が居るのか全然分からない。
慥かGKが川口でも楢崎でもないのよね。
まあそんな感じで。
わお。
そういや最近全然サッカーに関する事柄についてチェックしていない。
日本代表に誰が居るのか全然分からない。
慥かGKが川口でも楢崎でもないのよね。
まあそんな感じで。
2010/06/24
感覚内容を感覚することが何だっけ?
何故か湿気も少なく、カラリと晴れた。
過ごし易い。
このくらいの気温と湿度が夏の間ずっと続けばいいのに。
その代わり、腕の日光の当たったところに赤いものがポツポツと。
日光皮膚炎の季節。
日焼け止めクリームでも塗ってみるかな・・・。
セラーズがムズイ。
殆ど進まない。
まあそんなに時間を掛けてガリガリ読んでる訳ではないので、易しくてもそんなには進んでなかっただろうけど。
でもこれがそれなりに解れば、私も次の段階に行けそうな気がするんだ・・・。
然し力不足甚だしい。
やっぱブランダムの本から読んでいこうかねえ。
なんだか最近爪が伸びるのが早いな・・・。
はっ、新しい「手」が?
或はハーブの摂り過ぎとか。
��ジョジョネタです)
過ごし易い。
このくらいの気温と湿度が夏の間ずっと続けばいいのに。
その代わり、腕の日光の当たったところに赤いものがポツポツと。
日光皮膚炎の季節。
日焼け止めクリームでも塗ってみるかな・・・。
セラーズがムズイ。
殆ど進まない。
まあそんなに時間を掛けてガリガリ読んでる訳ではないので、易しくてもそんなには進んでなかっただろうけど。
でもこれがそれなりに解れば、私も次の段階に行けそうな気がするんだ・・・。
然し力不足甚だしい。
やっぱブランダムの本から読んでいこうかねえ。
なんだか最近爪が伸びるのが早いな・・・。
はっ、新しい「手」が?
或はハーブの摂り過ぎとか。
��ジョジョネタです)
電子書籍と物理的に製本されたもの
iBookをiPod Touchにインストールした。
機能は単純だし結構重いけど、それ以外は割とよさげ。
日本語の本は今のところ見つけられてないのだけれど、英語とドイツ語のを幾つか入れてみた。
まあドイツ語はもう殆ど読めないので、単に入ってるだけで満足する用。
Wittgensteinの論理哲学論考とかもあった(英訳しかなかったけど・・・)。
KantだとかHumeクラスの有名なものは結構色々ある。
而も無料(パブリックドメインのものは)。
これらの著作を手軽に手に入れて、手軽に読むことができる。
無料なら手に取り易い。
知識に楽にアクセスできる訳だ。
日本語の本とかもないかね。
青空文庫リーダ(私は「SkyBook」を愛用している)とかでも色々読めるから、まあそれでいいっちゃァいいんだけど。
Wittgensteinの「確実性について」が欲しいんだけど・・・。
まああっても高いかな。
因みに製本されたものは5000円ぐらいだったかと。
或は岩波とかちくま辺りで文庫化されないかなあ・・・。
でも電子書籍で欲しいかというと、そうでもない。
お金出すとなると、物理的な、製本された本の方がいい。
可読性の持続性に欠ける気がする。
データそのものが手元に存在しても「デバイスが変わったら読めません」的なことになるのは厭。
10年後、その時の自分にとっての標準的な環境で同じように読める、という保証は無さげ。
10年後Apple社が存在しているかも分からないのに。
「物理的に製本されたものを買ったらおまけで電子書籍リーダ用データが付いてきます」的なのが好い。
電子書籍なら検索し易いし。
��昔、論文を書いてるときとか、ググるように参考文献を検索できればどんなにいいか!とよく思ったものだ。註を付けるときとか。)
1回読んだらそれで十分な雑誌だとか、2回聴いたら飽きるような流行歌だとかなら、データだけを買ってもいいんだろうけど。
機能は単純だし結構重いけど、それ以外は割とよさげ。
日本語の本は今のところ見つけられてないのだけれど、英語とドイツ語のを幾つか入れてみた。
まあドイツ語はもう殆ど読めないので、単に入ってるだけで満足する用。
Wittgensteinの論理哲学論考とかもあった(英訳しかなかったけど・・・)。
KantだとかHumeクラスの有名なものは結構色々ある。
而も無料(パブリックドメインのものは)。
これらの著作を手軽に手に入れて、手軽に読むことができる。
無料なら手に取り易い。
知識に楽にアクセスできる訳だ。
日本語の本とかもないかね。
青空文庫リーダ(私は「SkyBook」を愛用している)とかでも色々読めるから、まあそれでいいっちゃァいいんだけど。
Wittgensteinの「確実性について」が欲しいんだけど・・・。
まああっても高いかな。
因みに製本されたものは5000円ぐらいだったかと。
或は岩波とかちくま辺りで文庫化されないかなあ・・・。
でも電子書籍で欲しいかというと、そうでもない。
お金出すとなると、物理的な、製本された本の方がいい。
可読性の持続性に欠ける気がする。
データそのものが手元に存在しても「デバイスが変わったら読めません」的なことになるのは厭。
10年後、その時の自分にとっての標準的な環境で同じように読める、という保証は無さげ。
10年後Apple社が存在しているかも分からないのに。
「物理的に製本されたものを買ったらおまけで電子書籍リーダ用データが付いてきます」的なのが好い。
電子書籍なら検索し易いし。
��昔、論文を書いてるときとか、ググるように参考文献を検索できればどんなにいいか!とよく思ったものだ。註を付けるときとか。)
1回読んだらそれで十分な雑誌だとか、2回聴いたら飽きるような流行歌だとかなら、データだけを買ってもいいんだろうけど。
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