絵でも描いてみようかと。
絵が描けるようになりたい。
私はペンやら画材やらが好きな割には字も絵も下手なのです。
特に字は、独自の文字体系を成していると言える。
ナチュラル暗号化技術。
本人にもデコードできないこともしばしば。
まあそれでも描いたり書いたりは、好きなのです。
というわけで、安いスケッチ用紙を、一寸前に買ってきておいたのです。
ジャポニカの「らくがきちょう」みたいなのでもよかったのだけれど。
然し何を書いていいのやら。
取り敢えず、身の回りのものを、色々スケッチしてみたりしたり。
携帯電話とか。スピーカーとか。
真剣に現実を写し取るのは、頭の中にあるのを描くのに比べて、結構難しいものだ。
こういうのがぱっと描けると、格好良い。
普通の絵が描けるのは格好良いと思う。
ギターが弾けるのよりよっぽど格好良いと思う。
2007/03/05
HartmannのSinfonia Tragica
おはやふございます。
昨日余りにしんどくて、寝てしまった。
最近発売されたK. A. HartmannのSymphonia Tragica
がどこにも売ってないのは何故だー。
私が昔テレビでやってたのをぱっと聴いた感じでは、「現代」的な感じとロマン的な感じが好い具合に混ざっていて非常に好かったのだが。
まあその辺は譜面の読み方で大分変わってくるような部分なんだろうけど。
従ってこのCDと昔テレビで見たのとでは、感じが違う可能性は十分にある。
まあいいや。
しょうがないからアマゾンで買おう。
ショッピングカートに入ってい給え。
Wikipediaに因ると、交響曲3番の前身になってるみたいね。
そしてアマゾン内のサーチエンジン、どうした訳か発売日順にソートしようとしてもちゃんと発売日順にソートされないのは何故だ。
発売日順にソートしてもトップに出てこないので、数日前まで、なんだ、アマゾンでは扱ってないのか、と勘違いしてしまった。
昨日余りにしんどくて、寝てしまった。
最近発売されたK. A. HartmannのSymphonia Tragica
私が昔テレビでやってたのをぱっと聴いた感じでは、「現代」的な感じとロマン的な感じが好い具合に混ざっていて非常に好かったのだが。
まあその辺は譜面の読み方で大分変わってくるような部分なんだろうけど。
従ってこのCDと昔テレビで見たのとでは、感じが違う可能性は十分にある。
まあいいや。
しょうがないからアマゾンで買おう。
ショッピングカートに入ってい給え。
Wikipediaに因ると、交響曲3番の前身になってるみたいね。
そしてアマゾン内のサーチエンジン、どうした訳か発売日順にソートしようとしてもちゃんと発売日順にソートされないのは何故だ。
発売日順にソートしてもトップに出てこないので、数日前まで、なんだ、アマゾンでは扱ってないのか、と勘違いしてしまった。
2007/03/04
ポスト・ポストモダン
簡略化して言ってみよう。
「ポストモダン」と呼ばれている運動というのは、一面的には、近代に支配的或はドグマ的だった価値観や世界観の分解と再構築であった、としてみよう。
特に近代的人間観の。
この説明は正しいだろうか。
デリダやフーコーのような思想家や或はポストモダン芸術に限って言えば、或程度は正しいように思える。
然し現代の日本の「ポストモダン」好きの思想家達を見ると、どうもこれは正しくないように思える。
その人達が使用している「ポストモダン」は、結局のところ、近代の価値や世界の分解でしかないように思える。
或は少なくとも、分解は好きだが、分解した価値の再構築には余り興味がないように思える。
だから面白くないんじゃないかと思う。
一寸簡略化し過ぎだが、まあ大体そういう訳で、日本の「ポストモダン」達は、そろそろ、自分達のポストモダンの成果を使って、そしてそれを乗り越えて、このポストモダンを経験した後の世界にも妥当であるような「価値」や「世界」や「人間」を再構築して呉れてもいい時機なんじゃないだろうか。
そろそろなんか面白いこと言えそうなんだけどなあ。
というようなことをここのところ考えている、という話。
「ポストモダン」と呼ばれている運動というのは、一面的には、近代に支配的或はドグマ的だった価値観や世界観の分解と再構築であった、としてみよう。
特に近代的人間観の。
この説明は正しいだろうか。
デリダやフーコーのような思想家や或はポストモダン芸術に限って言えば、或程度は正しいように思える。
然し現代の日本の「ポストモダン」好きの思想家達を見ると、どうもこれは正しくないように思える。
その人達が使用している「ポストモダン」は、結局のところ、近代の価値や世界の分解でしかないように思える。
或は少なくとも、分解は好きだが、分解した価値の再構築には余り興味がないように思える。
だから面白くないんじゃないかと思う。
一寸簡略化し過ぎだが、まあ大体そういう訳で、日本の「ポストモダン」達は、そろそろ、自分達のポストモダンの成果を使って、そしてそれを乗り越えて、このポストモダンを経験した後の世界にも妥当であるような「価値」や「世界」や「人間」を再構築して呉れてもいい時機なんじゃないだろうか。
そろそろなんか面白いこと言えそうなんだけどなあ。
というようなことをここのところ考えている、という話。
2007/03/03
2007/03/02
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