2005/12/08

冬仕様の弦ゲージ

ギターの弦のゲージ、SGのを、最近は0.10を使っていたのだが、例しに0.09に戻してみた。
というのもこの前0.09のゲージの弦を間違って買って大量に余っているのが、一寸勿体無くなってきたから。
骨太にガチガチ弾いたりベンドを多用するような感じでまったりと弾く時には音にガッツが無さ過ぎるが、繊細で優しい音が必要なときは、0.11や0.10より0.09の方が適している。
あとアルペジオのとき、一つ一つの音にはっきり主張させる必要があるときより、コードの音の混ざり合う感じが重要視されるときにも、0.09のは適しているように思う。
冬に合う。
ハーモニクスが綺麗に出るような気がする。
あとテンションが弱いので、フィンガリングが楽になる反面、ピッキングの加減に対してより注意が必要になる。

2005/12/07

prime mover

まだ大分、脛の筋肉が痛い。
気を付けないと歩き方が妙な感じになる。

学校の図書館で要らなくなった本を貰ってきた。
『Representing Reality』という本 by Jonathan Potter。
題名に惹かれて。
でも読むかな。

テイラーの本、半分程読んだところの感想。というか結局議論がどうなるかについての予想。
人の「社会の中での承認を通して在る」という性質に関する語彙を以って、相対主義やニヒリズムに陥らずに、人間的な「個」について記述することは可能である、或は言い換えると、社会における関係性の中でのみ人は在ると言えるのだとしても、だからといって「個」が完全に消滅してしまったりせず、「個」という語が、最早 prime mover とか「社会とは無関係に在り、而も何らかの意味を持っているような「個」」というような感じの意味は成さないせよ、語として使用に耐えなくなる程に機能しなくはならず、或意味で社会の関係性の中に「個」を回復させることは可能なんだ、みたいなことがこの本にこの先書かれているんじゃないだろうかと。
まああくまで予想というか希望的観測というか。


アマゾン→チャールズ・テイラー 「ほんもの」という倫理―近代とその不安
アマゾン→Jonathan Potter, Representing Reality: Discourse, Rhetoric and Social Construction

2005/12/06

履き慣れない靴

やっと冬っぽくなったような。
去年は秋が非常に短かった印象があるが、今年は秋が結構長かったように感じる。

昨日の疲れが取れず、体調もイマイチだったので、休養を摂る。
私は、普段は、歩く分には何時間でも歩き続けられるのだが、どうも雨でずぶ濡れになって歩き続けたのが不可なかったようだ。
また履き慣れない靴だったこともあって、足の変なところが色々と痛い。

2005/12/05

京都、方角、歩行

雨の中、結婚式に参列してきた。
朝早く起きて、ばしっとスーツを着て、白っぽいネクタイをして、電髪のあたった髪をハードジェルでジェントリ風に撫でつけ、寒いので革のコートを着て、ラバーソールのドレスシューズを履いて、京へ出向く。傘を忘れる。
余り失礼の無いようにだけ気を付けて、テキトーにぼんやりする。
シャンパンとワインを呑み、料理を戴く。
私は、飲酒した上に寝不足で、食事とデザートの間に、ふっと寝てしまう。
いつの間にかデザートが目の前に用意されているのに驚く。

意外にも陽のある内に式諸々が終わったので、雨も上がったことだし、京でも散歩してみる。

私は太陽か星さえ出ていれば大体方角は分かるのだが、空が曇っていて太陽に位置がどこか分からず、大体の方角すら分からない。
というか今自分がどこにいるのかも分からない。
結婚式場のパンフレットに描かれていた簡略化された地図を見て、南西の方に阪急の河原町駅があるらしいという情報を得る。
取り敢ずは方向も定めず歩いていると東大谷なるところへ至る。
そこらへんから自然のある方へ適当に歩いていると、山へ入る獣道のような道が見つかったので、バリバリのスーツにドレスシューズ姿で山に入る。皮底でなくてラバーソールにしといて良かったと思う。
私は山道でも泥を撥ねささず歩く歩き方が出来るので、スーツでも特に問題ない。
写真など撮る。
或程度歩くと、睡眠不足と飲酒の所為で息が上がって来る。
序でに雨もパラパラ降り出す。
下山を余儀なくされる。
山を下りたら、知らないカップルに「清水寺は何処ですか」と訊かれる。
知らないが、少なくともこの上の山ではないという旨を伝える。
円山公園なる公園辺りで雨宿りするが、雨は強くなるばかり。
仕方無く雨に濡れながら歩くことにする。
歩いていると、見たことのあるでっかい神社(帰宅後そこが八坂神社だと知った)に出る。
その神社で雨宿りをしているうちに、確かこの神社の近くにコンビニがありそうな街並みがあったはずだと思い至り、その神社の正面っぽい門構えの門から出てみる。
が、外は昔ながらっぽい街並みだったので焦る。
が、野生の勘と人の流れを観る的確な直観を以ってその辺を適当にうろついていると、コンビニがありそうの街並みを発見する。っていうかいきなりコンビニを発見する。
ビニール傘が何故かジャンプ式のしかなかったので、仕方無くそれを買う。
取り敢ず、街並みから推察して、南西っぽい方角へ突き進む。実は北西だったのだが。
サギが居たので写真を撮る。
京阪の三条駅とその近くの京都市営地下鉄の三条京阪駅に至る。
その近くにあったブックオフに寄るが収穫無し。
京阪や市営地下鉄には乗らず、路線図から方角を無理矢理推察して、また南西目指して歩き出す。実際は北東だったのだが。
街並みに「東山」という文字を発見して俄に不安に襲われる。あれは確か京都の北東だったような。
また「河原町行き」と書かれたバスが自分とは逆の方向へ走っているのを観て不安は増大する。
「二条」という名の道路へ出て不安はピークに達する。確か京都の「条」は北から番号が振ってあったような。
一方で「まあ歩いてさえいれば必ず何処かに至るのさ」などと考えながら歩く。なんくるないさー。
運動すると人は快活になるのかも知れません。ビミョウな感じに。
京都市美術館、京都会館に至る。着物の人が沢山居るのを観る。
ここでまともな地図をやっと発見する。自分が真逆の方向へ歩いていたことを確信する。
意気消沈し、どうしていいのか判らなくなるが、兎に角来た方角へ引き返すしかなさそうなので、そうすることにする。
三条の駅に着くが、ここまで来たならもう一息、何となく初志貫徹、と、更に南西へと突き進む。
途中でタワレコがあったので、一応寄る。が、特に買うものもなく、すぐに店を出る。
道中、びっしょり濡れて豪く寒いし、慣れない靴で歩き回って相当疲労しているし、足痛いし、睡眠不足で、そういや酒も呑んだし、百回ぐらい、生まれてきてすいません(by太宰治)とか、色々と後悔する。
或限界を超して肉体的に疲労すると、人は心まで疲労するものです。
が、どうにか阪急の河原町駅に至る。
阪急百貨店を発見したときのなんと嬉しかったこと。
が、梅田まで特急で立ちっぱなしになる。急行なら座れたのだが、判断を誤った。
梅田に至るが、脛の筋肉が筋肉痛になり、ぺったんぺったんと、足に合わないでかい靴を履かされているかのように、確っかり歩けなくなる。
無駄に逆境に強い性格の所為で、折角梅田に来たのだからと、成城石井でハーブティーなど買い、タワレコに寄り、帰宅する。
もう動けません。一歩が痛い。


因みに写真はどれもピンぼけでした。

2005/12/04

Macallan

明日、恐らく雨の中ということになるだろうが、京都まで行って、親戚の結婚式に参列してきます。


それはさて置き、今日は二日酔気味の気分。
昨日の夜中、ウィスキー、何杯呑んだのだろうか。
酔っているときの心中を記録する為に、沢山文字を書いた。

2005/12/03

freedom to、freedom from

途中まで読んでいた論文を、読み始めてから余りに時間が経ち過ぎたので、また始めっから読み返していると、「freedom from」と「freedom to」の使われ方、私が思っていたのとは微妙に違うような使われ方をしていたのを発見してビビる。
ノートを取りながら読むことにする。


茶は最後の一滴までというが、茶の中でも紅茶に関しては、最近、最後の一滴まで入れない方が好いのではないかと思うようになってきた。
日本の水がヨーロッパのよりも柔らかい所為で、日本の水で淹れた紅茶はヨーロッパの水で淹れた紅茶よりも色や味が出易いと聞くが、若しそうだとすると、ヨーロッパの硬い水に合わしてブレンドされた茶葉を日本の柔らかい水で淹れると、ブレンドする人が想定しているよりも濃く出てしまうからなのかも知れない。
単に私の茶葉の量が多すぎるとか、或は抽出時間が長すぎるだけかも知れないが。
然し茶葉の量を多くして濃くしたのと、抽出時間を長くして濃くしたのと、最後の一滴まで淹れてしまうことで濃くしたのでは、少々味の雰囲気が違うような気もしないでもない。
どうすればどうなるかについての記述を集め、紅茶の味を自由に操れるようになりたい。
freedom to。

2005/12/02

雅楽

突如、何となく、雅楽が聴きたくなった。
東儀さんのとかじゃなくて、所謂、普通の、平安っぽい、トラディショナルな、雅楽。
然しどのCDが良いとかいう情報を私は持っていないので、またジャケ買いする勇気もなく、どうしたもんかと思案しているのだが。
ネットのアマゾンとかHMVとかで色々調べてみるが、これと決まらず。
うーん。私に金があれば。
私にジャケ買いする勇気がないのは、金銭的な問題に加え、つい最近チベット系のCDをジャケ買いして思いっ切り失敗したところであるからだ。
而もそのCD、中近東コーナーに置いてあって、私はそのつもりで買ったのだが。
ていうか思いっ切りジャケに「tibet」って書いてあったのだけど、まるっきり見落としていた私が悪いのです。
因みに中を見てみると、タイっぽい仏像とインドっぽいヒンズー教のサドゥーが写っている・・・。
ヒンズー教なら、仏も神の一つとして吸収していたと思うのだが、でもこの仏像はヒンズー教における神の一つとしての仏の像とは一寸様子が違って、矢っ張りアジア南方の仏教の仏像だと思うのだが。
サドゥーはサドゥーだし。
これを製った人はあんまりそんなことはどうでもよかったのだろうか。
まあそんなことは、無宗教な消費者たる私にとっては、音さえ良ければどうでもいいのだが、音が余りに残念な結果に終わっていたので、救いようがなかった。
ビミョウなテクノにビミョウな「エスニック」っぽいラインが乗ってるだけの、どうしようもないCDであった。
ジャケ買いは、金銭的に余裕があり心がおおらかであるのでないのなら、するもんじゃねえな、と。