2021/07/31

私的言語メモ

私的言語メモ:
あなたが私を理解できないのは私が他人に理解できるように書いていないからで、ヨシンバ理解できたと思ったとしてもそれは私が書きたかったことではないに違いないのだ、というメモ。

最近の、思い付きでメモったけどうまく整理できてないヤツ。
まあ私は何かをうまく整理できたタメシが無いけれども。

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アイディア:多重政党制
目的:反権威主義。その手段として、政党というもの維持しつつその権威主義的性格と束縛を「軽く」する。強いリーダーシップ?犬に食わせろ。
下記の例の条件:日本、国会
今のまま、間接民主制。議員制。議員は立候補者に対する国民の投票で選出される。
立候補者は必ず3つ以上5つ以下の政党に所属せねばならない。無所属は認められない。
議員は定数2000人程度。
いずれの政党も定数の1/3を超えてはならない。
各法案毎に小議会が設置され、議員は各自の能力に応じて幾つか掛け持ちで小議会に所属する。
・・・的なことがまずゲームデザイン(?)として成り立つのかどうか。

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どうにかして選挙に(少なくとも立候補して選挙活動をするのに)金が掛からないようにしなければならない。

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弱肉強食風社会進化論-自己責任大好き新自由主義的世界観に基づいた少年漫画みたいにマッチョな(特に経済)政策論というのも、以前程は持て囃されてはいないように感じる。
丁度峠を超えたぐらいか。なのでまだまだ警戒すべき対象ではあるけれども。
次に来そうなのは、合理主義の皮を被った功利主義のように思える。

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人は見た目で判断する、という事実を受け入れましょう。
そしてその事実を意識的に利用して、「効率の良い」見た目でいましょう。
というような言説は、
人はを見た目で判断する、という事実を受け入れましょう。
従ってあなたも人を見た目で判断しましょう。
という言説と、一見すると違っているように見える。
勿論、同じものである。

日本において、特に政治、教育、マスメディアから、人権の軽視や差別が少しも減らない原因の一つ。

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現実を見ろとか言っちゃう「現実主義者」というヤツは、その「現実主義者」が見えてる現実だけ見ろ、私が見えてないものは見るな、と言っているに過ぎない。
現実主義とは自分の視点に立つことを他者に強要し、それ以外の視点を排除することを、なんかカシコのフリして合理的っぽく言うことである。

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喉元過ぎれば熱さを忘れる。
うん、忘れて来てた。
特に近年、安倍晋三から菅義偉まで、そうでもせんかったら逆に日本でも滅ぶんかという勢いで只管忘れ続けて来た。
イヤお前どんなけ胃強いねん・・・と思ってら胃が爛れてしもとることが能く解ってないだけか。

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プラグマティズムにおいて全体論、若しくは全体論風の論調(或意味は他の意味に依って相互作用的に成立する、的な。意味のネットワーク主義)を採らずに意味(特に言葉の意味)というものを成り立たせることはできるのか。

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「ヒッグス粒子の存在が要請されている」ということと「ヒッグス粒子が存在している」ということとの間には存在論的価値の大きな差があるということは、多くの人にとって判り易いかと思われる。
これは次のように一般化できそう。
「~の存在が要請されている」ということが正しいとする場合、それが存在するということを要請している、その要請の理由が、それが存在しているという事柄の真実らしさを支える土台である。
併し「~が存在している」ということが正しいとする場合、それはその使われ方で使われるような「存在している」という言葉の使い方自体も、それが存在しているという事柄の真実らしさを支える土台となる。

この存在論的価値の差はよく見落とされがちで、或モノの存在が要請されるという事実を以てそれが存在しているかのように扱われることがある。

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或人物の道徳哲学の議論のパターンは、その人の言語についての哲学的立場から大筋で導き出される感じがする。