2021/07/21

胡麻の油と農民

職員室で、「指導の一環」として私に対して私の友人をどつくことを強要した教職者達、それに「イジメに対して沈黙は加害者と同義」とか言いながらもその場に居て何も言わなかった教職者達、お前らは私の「法律が許せば社会が許さなくても復讐する」リストに入っているからな。
少なくとも「カルネアデス的状況では最初に海に投げ込むべき」リストには入っているかんな。
復讐は何も生まない?知るかボケ!

けったくそ悪いことに、やられた方は一生覚えているものだ。
やった方は忘れるそうなので、私もどっかで一生覚えられることをやらかしているに違い無いが・・・。

コーネリアスは、アレはまあ駄目だとして、彼の学生時代の暴力についての話とそれについての現在の諸議論は、(色んな問題が内包されているけれども)例えば日本において学校という社会の中で子供が置かれている環境が劣悪であるということを思い出させる。
少なくとも私の頃は確かに劣悪と言うに相応しかった。
今は多少マシという話も聞かないではないが、本当のトコロは私は知らない。
例えば今だにアホで不条理で差別的な校則なんかが存在することが許されている所なんかを見ると、根っこの部分はあんまり改善されていないんじゃないかなあと、ぼんやりと疑ってはいるが。

学校という社会における学生間の、特に暴力に関する振る舞いは、よく「社会の縮図」みたいに言われる。
然し一口に「社会」と言っても色んな側面を持っているので、適用範囲が大き過ぎてそれが合ってるのか間違ってるのか判らなくなる。
学校社会における学生間の暴力的振る舞いについては、私の学生の頃の経験からすると、実際には教職者-学生間の不条理で暴力的な面子主義/権威主義的構造が学生-学生間に落とし込まれて適用されたものとしての側面からの方がよく説明できそうに思える。
面子/権威主義が役に立たないばかりか害悪でしかないことは、国会議事堂の辺りを眺めてみれれば瞭然とご理解頂けると思う。特に今は解り易そう。

私の子供の時分には、大人は何も解ってくれない、といったような文言が流行していたが(実際にそんなこと言ってる子供を見たことが無いが)、実際に大人になってみれば、大人がそもそも何かを理解しようとしているなんてことは無いということは、大人な皆さんの能く知る所と思われる(し、実際は子供でも知っている)。
特に想像力の行使は対象との同化や承認であると思い込んでいる大人の皆さんは、只そっと胸に手を当ててみるだけでいい。
そうでなくても大人とか云う連中、あいつらなんか忙しいそうにしていて、全然周りも見えてないし、自省したり何か新しい考えなんか取り入れる暇も余裕も能力も無いんだ。
あいつらを追い込んだって能率は下がるだけだし大したものは何も生まれる訳が無いのに、未だ日本では「胡麻の油と農民は」の根性が抜け切っていない。

私は個人的には私の識っている若干名に関して海に投げ入れても刑事的責任を問われない状況なら努めて投げ入れることに決めているけれども、例えば教育の改善だとか学校社会内における暴力を減らす対策の結果として現職の教職者の労働環境を更に悪化させるのは只々阿呆だと思っている。

誰かを追い込むような社会的構造を作ったりそれを容認したりしてたら、結局回り回って自分とか自分の子供が割を食うことになる。