2008/06/08

私の体の中を、スポンジを洗うように洗いたい。
なんか一定量以上の水を飲んだら身も心もキレイすっきり、というような隠れた人体の機能みたいなのはないものか。
只管水を飲んで体をツイストすれば汗腺から脂が滲み出てきたり。
鼻から水を飲んで、デスメタルでヘッドバングして、口から吐き出せば脳味噌すっきり、みたいなのとか。
或は鼻を茹でたのを弟子に踏ませると鼻に粟粒のようなものができて、それを毛抜で取って再び鼻を茹でると鼻が好い感じに小さくなる(効果はしばらく持続する)、みたいなのとか。
ないのかねえ。

2008/06/07

モニタ

デジタルフォトフレームが欲しくなってきた。
PCのサブモニタとして使えるやつがいい。
買ってしまえそうな値段だし。
でもなあ。
それなら普通にモニタ買ってもいいんじゃないかと。
でも、それでモニタを買うのも何故か気が引ける。

あと一寸マシなCPU切替器も欲しい。
現在は買った当時一番安かったしょぼいのを使ってるが、今後はMacBookにも使っていきたい。
という訳でDVIのがいい。
VGAでも悪くはないが。
因みにDVI-DとUSBマウス/キーボード、4台接続だと30000近くするし、更に解像度にWUXGAまでいけるぐらいの余裕があるものは未だ存在しない。
という訳で、今は買い時ではなさそう。

てゆうか共有ディスプレイを使ってMacBookをデュアルディスプレイって、一回やってみたんだけど、ディスプレイを切り替えるとき非常に面倒臭い。
せめて切替器が共有されたディスプレイをプラグアンドプレイ(?)っぽい感じに動作させることができるようになっていれば。

2008/06/06

下地

当たり前のことを忘れないでおくことは必要だ。
例えば、色々なバリエーションのある民主主義の中でもコアとなる部分、或は当然受け入れられなければならないような部分を。
単なる個人の自由(これはしばしば「利益」と読み替えられる)の追求だけでなく平等や相互扶助或は弱者への配慮も、とか。
基本的人権の尊重然り。
エリートがその他の衆愚をコントロールすべきだ、とか、更に衆愚はコントロールしや易いように愚かな状態に留めておくべきだ、といった考えに反対すべきだ、ということだとか。
或は人を理不尽に或は不当に苦しめたり、或は将来を奪ったり殺したりすることが、(それが国家や漠然とした「社会全体」や大企業といった個人の能力を大幅に超えた存在によって為されるときには特に)何かしょうがないことなんだなんてことあり得ない、ということは、確っかりと肝に銘じておいて損は無いだろう。


もう一つ。
60年代や70年代の、新左翼や東大の安田講堂やベトナム反戦運動の時代の若者と現代の若者を比べて、ああ今の若者は、と端的に思ってしまって嘆息するのは適切でない。
なんかこうやって嘆息を吐いて見せるの、流行ってるのかね?
当時の若者にはそれ以前の人達の敷いた下地があったことを忘れてはならない。
現代の若者がどうしようもない腰抜けだと端的に思って絶望すべきでない(こんなことを言われると、80年代まで息が続かずに結局その後のらりくらりと過ごした君達中年や御老人はどうなんだと皮肉の一つでも言ってやりたくなるが、まあ言ったところで不毛なので兎も角として)。
可能性はある。
但し、もう一度下地作りからやり直さなければならないが。
今度はできればもう少しは洗練された仕方で。


芸術のお出ましだ。

2008/06/05

好いーBox

特に無し。

iPhoneはソフトバンクか。
docomoからも出ないかな。
でも冷静になってみると、iPod touchの方がいいかも知れぬ。

Eee Box好いなあ。

まあそんな感じで。

2008/06/04

本格派

なんだか先週ぐらいから突然腹が更に出てきた気がするのだが。
私の知らない間に太る秘孔でも突かれたか。
而もなんか結構内蔵に来てるのよね。
なんだか腹が圧迫されて苦しい。
とうとうメタボが本格的に来たか。

2008/06/03

弓の持ち方

乾いた雨なんぞないものか。
こうジメッたいとどうも不可ない。
雨は春先か秋の深まった頃、或は夏のスコールぐらいがよいね。


ヴァイオリンの弓の持ち方に悩む。
どうしたら弓をコントロールできるような持ち方になるのか。
どうも、小指が結構ポイントだと思うんだ・・・。

まあ私の最も得意とする楽器のギターでさえ、ピックの持ち方が或程度安定するのに5年ぐらい、余り意識しないでも演奏に合わせて自然に持ち替えたりできるようになるまでに10年ぐらいかかったので、ヴァイオリンの弓の持ち方にもこれからずっと悩み続けるのだろう。

2008/06/02

電気羊はアランドロンの夢を見たいか?

ディックは関係ねぇでやんす。


「なら私も神だ」と言う夢を見た。
何でそんな話になったのか・・・。
なんか八百万の神的な話だったと思う。

確か・・・。
「科学という迷信」という世迷い言を真面目に受け止めてしまっている人が居て。
つまり「科学がこの世の全ての問題に常に最適な解答をもたらす、という訳ではない」とか「パラダイムは変化し得る」ということと「科学は信用ならん」ということを区別できていないような人だ。
そういう人がワラワラ居て。
「皆さんご存じのように、科学万能の時代は終わったのです・・・」
��中略)
「古来より日本には八百万の神がおわし、我々の地方にも・・・」
��中略)
「あなた達が自然現象のひとつだと思い込んでいること、然し科学で説明できないでしょう?それを我々は神と呼んでもいいのではと考えているのです・・・」
��後略)
などと口々に宣う。
この集団には、或ひとまとまりの合意された概念群が形成されているようだ。

それに対して私。
「人知を超越した存在を神と呼ぶのなら、人も亦神也」
��中略)
「肚の探り合いで私に勝てると思うな、君の肚なんざ私には全て見えてしまうが私は相手に私の表情から何一つ正しい情報を与えることができないのだ・・・」
��中略)
「私が「神」だ、君達にも、私にも」
と言い捨てて、そこから勝者の如く堂々とした素振りで逃げ出した・・・。

と、大体そんな感じの夢を見た。