2022/02/19

チャゲアス中毒

何ヶ月か何年かに一度来る、チャゲアスに至る病。

2000年より少し前ぐらいに崩壊が始まって現在では既に破壊し尽くされてしまって久しい所謂「J-Pop」というモノの真ン中にあって、かつ現在でも尚真面目に聴くに値するという稀有な存在、だと勝手に値打ちを付けている。

チャゲアスの音楽ばかりを考えて居る。
On Your Mark とかを毎日寝る前に聴いたりしている。

On Your Mark といえば、宮崎駿の完全なる駄作の Music Video でお馴染みの。
「On Your Mark の MV」としては、曲の理解に深みを与えるでもなく、曲とマッチしているでもなく、曲に対して何の役にも立っていない、違和感しか無い、精々なんかお上手な画が動いてるってだけの、無い方がマシなウンコでしかない。
「宮崎駿がチャゲアスの MV 作った」ってことで、当時私もそれなりに期待したのだけれど、そして実際観れたのは大分後になってからなんだけれど、慥かビデオテープがどこからともなく回ってきて、それで実際観てみて、当時は「チョーシに乗ったイキリ駿のしょーもないオナニー劇場」ぐらいの感想だった。
しょーもないという無関心とイキったオッサンのオナニー見せられたという嫌悪感の間で、どちらかというと嫌悪感が勝った。
嫌悪感が勝ったので、逆に当時は「これも一つの在り方だ」とか思うようにして何回か観て好きになろうと一瞬頑張ってみたけど、駄目だった。
どう観たって On Your Mark の音楽とは関係無い、只の宮崎駿のアニメでしかない。
なんや駿の奴めは MV も能う作らんのか、でお馴染みの。
世間では「宮崎駿がわざと間違った解釈をして描いたアニメーション」ってことになっているが、こう言うと私としては「解釈」の語に違和感を抱かざるを得ない。
全体や文脈を無視して、幾つかの単語や語句を摘んでそれっぽい画をそれっぽいタイミングで当て嵌めることを、私は「解釈」とは解釈したくない。
アレよね、私の嫌いな「解釈って言っとけばなんでも許される学派」の人達の言う、私の嫌いな安い似非ポストモダン的「解釈」よね。
どちらかというと「曲の内容関係無しに、宮崎駿が(チャゲアスの金で)曲の尺に合わせて好き勝手作ったアニメーション」と言った方が正しいように思える。
然し音楽関係無しにして、「(On Your Mark の MV 制作費として得た資金で作った On Your Mark という曲とは無関係の)宮崎駿のアニメーション」としては、そこそこ優れたモノではあるとは思う。
SFポストアポカリプスものは私も嫌いじゃないし、ポストアポカリプスものを「曲という制限」の下で、あの形式のリアルさでアニメにしたのは当時としては画期的だったんじゃないかと・・・イヤ、どうやろう、そうでもないのか?知らんけど。
「只の宮崎駿のアニメ」としては、岡田斗司夫が解説してくれている。YouTube で観れる。
私は部分的にしか観ていないけれど、観た部分に関しての感想としては、宮崎駿ファンという訳ではない哲学畑出身の人間からすると例えば「永劫回帰」が「ああ、またニーチェじゃなくて素人がよく言うの方の永劫回帰ね」みたいに思うところとか、割と強引めに解釈しているところを断定的に話したり、「それはサスガに駿サンを持ち上げ過ぎじゃね?」と思うところがチョイチョイあったりとか、引っ掛かるところは幾つかあったけれど、全体としては「うわ、そこは見落としてたわ」とか「せやねんその通り」と思うところも多く、情報量も豊富で解り易くて面白かったように記憶している。
あと剣菱を見落とすとは彼は酒は呑まんのか?(剣菱を知っていれば主張を軟化させなければならない部分があったハズ)とか。そういや私は煙草を吸わんので例えば「ホープ」「バット」の違いが含意するところがあったとしても説明できない。それと一緒か。知らんけど。とか。羽娘のどこに繋がってるか判らない謎の鎖とかもなんか意味ありそう。知らんけど。とか。話したくなる。
多分私がチャゲアスについて話しているとこんな感じ(の、もっと頭悪い感じ)になってるんだろう。
まあでも「只の宮崎駿のアニメ」として優れていたところで、その内容は On Your Mark 曲の音楽的内容からも詞の内容からも導き出されるモノではなく、また On Your Mark という曲を説明するものでもなく、On Your Mark という曲である必然性が全く無い。
このアニメーションが曲の理解や解釈を妨げることはあっても深めたり拡げたりすることは無い。
チャゲアスになんか恨みでもあったんかと思う。
宮崎駿なら自分のやりたいようにやってかつ曲の芯も抉るアニメも描けたと期待するのは多分買い被り過ぎなんだろう。
つうことで MV としては糞。

で、よ。
めっちゃ話がズレたけど。駿サンはどうでもええねん。

PRIDE とか、チャゲアスの重要なアルバムのうち幾つかはCDが何故か手元に無い。
なのでCDを新しく何枚か買い直すことに。
で、2001年のリマスタリングで紙ジャケのヤツを買ったんだけど、音的にめっちゃ不満。
「リマスタリング」と言っているが、ほぼ「リミックス」と言って差し支えないような内容。
パッと聴いた感じ、各トラックのパンの振りもEQも音量も変わってしまっているし、エフェクトも掛け直しているように思える。
音自体は確かに各トラック毎の分離が良くなってクリアになっているんだけれど、その所為で聴こえない方が良い、例えばコーラスエフェクトが残響音のところで低ビットレートなMP3みたいに鳴ってしまっているのまで聴こえてしまっていたり、音がいい感じに溶けて混ざっているところをわざわざ分離してしまっていて音にまとまりが無くなって迫力が大幅に削られてしまっていたりする。
チャゲアスの曲の音ってこんなにショボかったのかと思わせる。
自分で自分の首を絞めていることに気付けずに斜陽の斜度を積み重ねて行ってたあの頃の、音楽を忘れた悪い J-Pop の音がする。
単に音がクリアになっただけで、私からしたら、解ってねえなあ、と評価せざるを得ない。
くそう・・・古いミックスのを買い直すべきか・・・。

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「ポストモダン標榜ゴロ」という言葉を思い付いたのだけれども、私は契約書なんかにもよく出てくる「××標榜ゴロ」という言い方に強い嫌悪感を持っていて、できれば使いたくない。
然し「ポストモダン標榜ゴロ」という語は私の言いたいことを一言でスッキリと言い表してくれるように思える。
「似非ポストモダン」だとなんか違うんよな。
沢山の言葉を尽くせば言えるんだろうが、私は一言で言いたいのだ。
何か良い言い換えは無いだろうか。