2006/01/31

返品、美術史、漫画論

やっちまった。
GNX-1。中古。安かったのでつい。
而もなんと不良品。
あいたたた。
明日返品してきます。
くっそー、すっげー重かったのに。


それから本とか漫画とか買ってくる。
漫玉とか。
ドニディドロの『絵画について』とか。
サイードの『ペンと剣』とか。
ユリイカの2006年1月のとか。

漫玉は、こんな素的漫画買うしかないとして。

ディドロは何となく。
ペラペラ見てると、ディドロの時代ってラファエロとかレンブラントとかもうおったんや、ということを知った。
ディドロって、もっと古い時代の人と何となく思っていた。
あー、でもラファエロとか結構昔やもんな・・・。
私はその辺の時代感覚が少々弱くて。
音楽との関係とかなってくると、もっとヤバなる。
音楽が発達したのは意外と最近になってからやもんな。
それに比べて、絵画が一気に発達した時期ってのは、早い。
因みに哲学史は、カントの辺りとスコラ哲学の辺りがヤバい。
矢っ張り高校で年号を覚なかったのが不可なかった。
やっときゃよかった歴史。因みに私は社会は地理でした。楽だったから。

サイードは題名に惚れて。
この題名でなければ買ってなかった。
直球。
内容は、インタビュー。読み易いかな、と。

ユリイカは漫画批判。
この前の発表のあとの宴で漫画の話が出たのだけれど、それはこういう話だったのか。
世界を広げて呉れる非常に有意義な内容のものが幾つかあった。
ほう、こういう世界認識の仕方があったか、思い付かなかった、みたいな。


アマゾン→桜玉吉 『御緩漫玉日記』
アマゾン→ディドロ 『絵画について』
アマゾン→エドワード・サイード 『ペンと剣』
アマゾン→ユリイカ 2006年1月号 特集 マンガ批評の最前線

2006/01/30

物欲記

一寸したアイディアの録音とかギターの練習の録音とかに使えて、そこそこ機能の優れたメモリオーディオかICレコーダー、買う金は無いのだけれど、ネットで色々探してみる。
というのも、今使っているノバックの3000円のメモリーオーディオ、元々の仕様(WAVE形式で最大32kbps、32kHzでなく)自体良くないし、電池がすぐなくなるし、入力音量の最大値がショボ過ぎてすぐ音割れする。
まあ3000円以下だったし、別にアイディア用だから音の原形さえ判れば良いと思っていたのだが、でも電池がすぐなくなるということに伴う焦燥感と音割れがかなり不快。
ということで色々探してみる。
直段とスペックを見る限り、結局オリンパスのICレコーダー、V-20が良いのではということに。
ステレオ録音の必要余りないのだけれど。
でも金が出来たら M-AUDIO の Micro Track(V-20の約三倍の御直段)とか買ってしまいそう。

金が欲しい。
SONARもアップデートしたいし。
ギターのアンプシミュレーターも欲しいし。
うー。

・・・と、まあそんな感じの物欲で一日を無駄にする。

2006/01/29

技術、自由、詩

沢山ギターを弾く。
テーマは「速く、正確に」。
80年代後半から90年代前半風に。
最近、基礎を怠けていたので。
音楽を奏でる実践においては、16分のカチカチしたピッキングは余り趣味ではなくて、寧ろレガートなのとか、ピッキングの強さとかタイミングとかで表情を付けたりする方が好きなのだが、然しそれは正確な16分のカチカチしたピッキングができるということが前提になっている。
つまり、メトロノーム通りのカチカチしたピッキングの方が技術として基本的なものであって、その応用として、ピッキングの強弱やタイミングについての技術があるのだ。
正確なピッキングができないにも拘らずラフなピッキングをして「これが自分の味なんだ」と思っているギタリストなんかは、まあ本当にちゃんと味があれば、それはそれで素敵なことだけれど、でも「自由」に関して言うと、それはより弱い意味での自由でしかないんだ。
私はもっと自由が欲しい。もっと、音楽家として自由になりたい。
それから序でに言っておくと、私は「自由それ自体に価値がある」ということが正しいことであるということにコミットしている。
私は「自由」と「芸術」を殆ど交換可能な語として使用するし、それが不適切な使用であるとは到底思えない。
私は芸術を溺愛するのと同じようにして、自由を溺愛する。
そうすべきだと思う。芸術創造に関わる者として、とりわけそうすべきだと思う。

能力の豊かさ無くして自由はあり得ない。
更なる自由を得たくば、更なる能力を得よ。

そういや"expressive freedom"って、どう訳すんが普通なんかねえ。
「表現的自由」みたいにテクニカルタームっぽくいくんかねえ。
でもこれは一見して明快に解るような訳語ではないように思う。
或は「表現にまつわる自由」とか?一寸イモっぽいかな?而も一部の(←皮肉を言ってるのです)マスコミ関係者が他人のプライベートを侵害したりするときに素面で間違って理解して臆面も無く使っている、「表現の自由」と同一視されそう。
本当に、あの人達を志向システム(デネット参照)とみなすのにどれほど苦労することか。自分の自由(想像力を働かせる能力にまつわる自由)の限界をひしひしと感じさせるほどだ!勿論皮肉を言ってるんです。
まあそれは兎も角。
「新しい表現を可能にする自由」とか「表現の豊かさを生む自由」みたいになると、余分に説明し過ぎているっぽい。でも意味は大体そんな意味で。でももっとスマートに。
んー。
「詩(ローティ)」でいいか。テクニカルターム然としている。


という私的言語で書かれたメモ。排他的「自己」領域。

2006/01/28

戦のあと

発表、基本的なミスが目立ったが、思いの外、首の皮が繋がってたり。
突っ込まれたらヤバいな、というところが無事(?)スルーされたり。
首に刃が刺さった状態で止まってる感じ。
ギリギリアウト?
アウトはそりゃまあアウトなんだけど、でも想定していた程強烈にアウトではなかった。と思う。
泣かなかったし。

後ろ向きな達成感。

その後呑んだ酒(美少年)も好く、重荷が下りたことで、上機嫌。

2006/01/27

断頭台の前にて

発表の原稿、やっと出来上って、後は誤字脱字等を見直すだけ。
そして明日、発表。
イクォール、公開処刑。
切腹前の武士というよりは寧ろマリーアントワネットの気分。
どなどなどーなーどーなー。
確っかり息の根を止められて来ます。
泣かないように頑張ります。
然しこれが終われば!

曲創ったりしちゃうぞ!
暫しの開放感を味わうぞ!

2006/01/26

原稿が

テンパっております。
本日はこれにて御免。

2006/01/25

もうすぐ発表

やべ。
発表の原稿が未だ終わってない。
もうあとは別に大したこと書くでもないのに。
最後の一歩でだらけている。
うーん。