2005/10/31

ロウソクの光で見る音楽

無いはずの暇をあることにして曲を創る。
ロウソクの光で見ているような音楽。
八割方完成。あとは最後のひと閃きを待つのみ。
デモなのに一部の音に相当拘ったりしているから作業が遅いのなんの。
一つのトラックに対してリバーブとコンプとEQをそれぞれ2種類ずつ使ってるようなトラックがあったり。20バンドぐらいあるグライコプラグインが欲しい。あと物凄くスパッと切れるハイパス/ローパスフィルターとか。
かといって物凄く手抜きなトラックがあったり。
まあ全体の音数が少ないのが救い。でも閃き方次第では増えるかも。
そんなことしてるから面倒臭くなって飽きてしまうんだろうけど。
でもボク我慢するよ!

2005/10/30

芸術の秋

秋。
芸術の秋。
ということで、勉学もそこそこに曲でも描いてみる。
今週は珍しく余り忙しくないし。
あー、楽しーなー。と、自分に思い込ませながらする。
頭の中で曲を創っていくのは楽しいんだが、いざSONARに打ち込んでいくとなると実際には面倒臭い。
まあSONAR4になってから細かい編集作業が結構楽にはなったのだが。
だからボク我慢するよ!

因みにSONAR5はフリーハンドでオートメーションが描けるようになる。
一応SONAR4ではMIDIのピッチベンドぐらいはフリーハンドで描けるのだけれど。
私は昔 YAMAHAのXG warks を使っていて、それで XG warks ではMIDIのヴォリュームとかもフリーハンドで描けたのだが、あれは便利だった。
例えばヴァイオリンとかフィドルなんかでは弓を強く当てて粘っこく擦るように弾くとき、ヴォリュームが一番大きくなるのが普通より遅かったりピッチが揺れたりするのをMIDIで再現するときなんかに役に立つ。
SONAR4ではそんなヴォリューム操作一々やってられないのでタイミングをずらしたりしてそれっぽく聴こえるようにする。
それとか、ヴォーカルのミックスとかオートメーションをフェイダーを使ってリアルタイムに記録させていくよりも波形を見ながらフリーハンドで描けた方が作業効率は良いんじゃないかと思う。

サウンドハウス↓
SONAR 5
 

2005/10/29

秋は夕暮れ

今日は、「記述」「物語」「イデオロギー」の使用の仕方の何処が同じで何処が違うのかを明確にして考えないとないと不可ないなあ、ということを考えた。
つまり大して何も考えなかった。
能くこんなに何も考えずにいられるなあと、我なら感心する。


草の匂いが秋になった。


それから昨日ぐらいに、大分以前に書いていた日記もこっちに移せるようになったので、移した。
左の「過去ログ」がやたらと増えているのはその所為。

2005/10/28

Fairuz、Ellen Allien、Sigur Ros、Franz Ferdinand、Opeth

朝、身体はそんなに悪くなかったので、授業に赴いてみる。
度々しんどくなったが、何とか授業を受け、帰途に就く。
時々逆境に強くなる困った性格の所為で、帰りがけ、しんどさを圧してタワレコに寄る。
CDを買うのに脂汗を流す。
Fairuz、Ellen Allien、Sigur Ros、Franz Ferdinand、Opethなど。
アラビアンポップの Fairuz が一番好かった。
エレクトロ/テクノの Ellen Allien は突出した点もないがまあ聴ける、という感じ。付属のビデオクリップに期待していたが、それも余り面白くなかった。太った人が腹をラケットにつくねをボールにしてピンポンしているビデオクリップ。因みに音は丸めでもっさりしている系。
Sigur Ros はあんまり好きじゃないんだけど。Dirty Three の新作でも買おうと思ってぶらぶらしていると試聴出来るのを発見し、視聴したのだがあんまりぱっとせず、で、同じ試聴機に入っていたのがこれ。前作より更にしょうもなくなっている気がしたが、Dirty Three の新作よりは好かったこともあって、何となく勢いで買ってしまった。矢っ張り私は Sigur Ros なら MOGWAI とかマイブラの方を聴きたく思う。
Franz Ferdinand。「悪くない」という程度でこれも特にキラリと光る物がなかった。一曲ずつ聴く分にはまあ楽しめるのだが、三曲以上連続で聴くと飽きてしまう。まあパーティなんかのバックグラウンドミュージックとしては良いのではないだろうか。私のように独りでじっくり聴くことが多い人間には、一枚通して聴くのは余りピンと来ない。
あーでも Jamiroquai は大好きやねんけどなあ。
Opeth。ゴシック寄りのデスメタル+α。彼らはデスメタル一直線というよりは、結構色んな音楽をちゃんと聴いているっぽいので気に入っている。


因みに体の方は寝たり起きたりで。頭もあんまり働かないので起きたらパソコン触ってる感じで。

2005/10/27

Kritik der Menschenkraft

風邪を圧して書きたいことがある。

人間力を高める?
ソースはこことここ。
糞みたいな響きを持つ言葉だ。口から糞を吐くようなものだ。
能く酒も呑まずこんな言葉で口を汚せるものだと感心している。
而もこの語がどんな意味内容を持っているのかが全く以って明確でないし、メタファーとして良く出来ている訳でも、詩的美しさがある訳でもない、実にカスみたいな言葉だ。

ニートとは社会から疏外して扱われてもしょうがない存在である、或はニートとは人として不十分な存在である、というような物語を社会に更に広める目的に対しては素晴らしく効果のある言葉だろうけれど。

私の拙い社会分析では、「人間力」なる訳の分からん力が足りないから人がニートになる、或はニートの人を就業或は就学させる為には「人間力」なる訳の分からん力が必要である、というのは余りに短絡的な思考であり、或程度正しかったとしてもことのごく小さな一面を誇大して考えているだけであるように思える。
重要な点として、社会に対して希望がない点、例えば、権威主義的イデオロギーが若い世代にとって馬鹿げたものであるとして広く理解されている反面、実際の社会では未だにそのような権威主義が猛威を振っており、若い世代の人間がそのような「馬鹿げたことが罷り通っている社会」に対して希望を持つことを諦めている、というような物語を若者世代が自分達について広く物語っている点、自らが自動機械や単なる歯車でないと知っていながら就業すればその歯車になるほか無いという物語が社会についての物語としていよいよ重要な部分を占め始めた点、或は青春時代の殆どを「先の見えない不況、自己責任」ということに関する物語が語られた時代に生きており、社会に対して希望を持つということがどういうことか理解出来ない、という点、があり、また自分が自分の社会の一員であるという物語が力を失い、社会と自分を切り離して考える物語が疏外の物語として重要な位置を占めるようになってきた点、それらの点が、ニートの問題を考えるときに重要な点となるのではなかろうかと思う。また、社会の側がニートを社会から疏外するような物語をいよいよ露骨に敵意を持って物語るようになってきたという点も重要であると思う。「ニートは人間力が足りない」とか。「ニートは親の財産を喰って生きる穀潰し、働かざる者喰うべからず」とか。その影響を受けてニートである人はますます生き難くなる物語を自分に対して物語ってしまい、ますます動きにくくなるという悪循環が始まっているんじゃなかろうか。
ニートであるまさにその人がニートになったのは、その人自身に負う分も幾らかはあるだろうが、そのことは兎も角として、ニートに関する問題がまさにそのような社会問題になったことには寧ろ社会の方に問題があるのであり、また個人の問題に分析してしまうだけでなく社会の問題として扱われるべきだと思う。
推敲が面倒臭いから文が矢鱈長くなってしまって文の構造が見えにくくなる愛嬌。
まあ簡単に言うと、単純に日本社会がニートに対して物語っている物語とニートである人が自分自身に対して物語っている物語の傾向性を分析してみるだけでも、「人間力」なんて差別的でないなら意味不明な語を持ち出してくるよりは一寸はマシなことが言えるんじゃないか思う。

「人を励ます」という動機は多くの場合「善いこと」に数えられるが、一方で実際に人を励ますときには一寸は考えてしないと不可ない、ということは常識的真理であったように思うのだが。私が間違っているのだろうか(反語)。

うん、腹と頭が痛くなって来た。

2005/10/26

計画的、早寝

最近一寸無理をするとすぐに身体から「いやムリっす」というレスポンスがあるような体になってしまった。
普通人は何処か一箇所くらい一寸悪くしても、それなりに生きていけるようにできているものなのだが。
ということで、恐らく何処か一箇所だけ悪いというよりは寧ろ、全体的に一個の生命体として免疫力が低下しているのだろう。
喰う物は一応酷い時期よりは余っ程改善されている筈だから、生活リズムがなってないのが不可ないのだろう。
というかここ何日もまともに寝てないのが不可ない。
何の苦行やねん。

要早寝。
そして一寸は計画的に生きること。

2005/10/25

秋

やばい。
異様にしんどいので今日はもう寝ます。
もう朝は冷え込む時期なのに窓を開けっ放しにして寝るのはどうも関心しなかった一日。