誤って体を鍛え過ぎる。
この貧弱な肉体は、イマイチどこまでやっていいものか判らんのだよ。
筋肉を付けて一寸は活動的にならんとせん。
筋肉があれば!
せめて普通に活動できるくらいの筋肉があれば。
2008/05/14
2008/05/12
部屋とMacの整理
部屋を片付けた・・・。
机の上だけ片付けるつもりが、机の上のものを収納するスペースが無いことが判明し、そのスペースをどうにか遣り繰りすることから始めなければならず、結局部屋全体を整理しなければならなくなった。
やれやれだぜ!
本が多過ぎる!
而も読み終わってない本が!
読んでない漫画も!
段ボールに入れるにも入れられない。
CDは既に飽和しているし。
もう暫くは何も買うまい。
やっぱ時代は電子化だよ・・・。
Macの中身も整理する。
てゆうかMacPortの中身。
百何十件ものパッケージが入ってたので、依存関係が複雑になってる所為か、なんかアップデートにどうしても失敗するものもちょくちょくでてきていて、なんだか鬱陶しいので一度全てアンインストールして、必要そうなものだけ厳選してインストールする。
厳選の結果、取り敢えずGimp.appとMacFuseだけインストールすることに。
これらは他のパッケージに依存しないので、インストールされるのはこの二件だけ。
大分スリムになった。
やれやれだぜ・・・。
これだけだとMacPortで管理する必要も無い気がするが。
机の上だけ片付けるつもりが、机の上のものを収納するスペースが無いことが判明し、そのスペースをどうにか遣り繰りすることから始めなければならず、結局部屋全体を整理しなければならなくなった。
やれやれだぜ!
本が多過ぎる!
而も読み終わってない本が!
読んでない漫画も!
段ボールに入れるにも入れられない。
CDは既に飽和しているし。
もう暫くは何も買うまい。
やっぱ時代は電子化だよ・・・。
Macの中身も整理する。
てゆうかMacPortの中身。
百何十件ものパッケージが入ってたので、依存関係が複雑になってる所為か、なんかアップデートにどうしても失敗するものもちょくちょくでてきていて、なんだか鬱陶しいので一度全てアンインストールして、必要そうなものだけ厳選してインストールする。
厳選の結果、取り敢えずGimp.appとMacFuseだけインストールすることに。
これらは他のパッケージに依存しないので、インストールされるのはこの二件だけ。
大分スリムになった。
やれやれだぜ・・・。
これだけだとMacPortで管理する必要も無い気がするが。
2008/05/10
心脳同一説
「心は(スゴい高性能な)コンピュータでシミュレーション可能だ」という主張が含意するところには、現実的には、二種類あるように思える。
一つは、人間の脳の物理的構造は物理的振る舞いと身体の物理的構造や物理的振る舞いをコンピュータプログラム上でちゃんと再現できたとすれば、人はその再現されたものに心があると考える筈だし、心とはそういったものなのだ、というもの。
もう一つは、我々が「心」と呼んでいるものは、実際には脳(或は脳の物理的振る舞い)という物理的なものでしかないので、脳の物理的振る舞い(或はニューロンの電気的振る舞い)をコンピュータでシミュレーションできるとすれば、それは心をシミュレーションしているということなのだ、というもの。
この二つは全く別の主張であることに注意され度し。
普通は前者のようなものをシミュレーショニズムと呼ぶんだと思うが、それが後者のような心脳同一説とビミョウに混ざってしまうと、おかしなことになる訳だ。
とか。
デネットの悪いところは、現在は兎も角として、最終的には、一つの仕方、つまり物理学の言葉で全てが説明できるようになるように哲学者は努力すべきだ、と考えている、という点だ。
この、見た目に比べて実際には結構強い物理主義(自分では「メチャクチャ緩やかな物理主義」と呼んでいたと思う)の所為で、彼の哲学は無駄に面倒臭くなってしまっている。
物理学の言葉で説明する必要の無いことと物理法則に反することとの違いをはっきりさせておくべきだ。
とか。
政治的多元主義は言うまでもなく、哲学的多元主義も必要だ。
というようなことを風呂の中でぼんやり考えたような夢を見た気がする。
一つは、人間の脳の物理的構造は物理的振る舞いと身体の物理的構造や物理的振る舞いをコンピュータプログラム上でちゃんと再現できたとすれば、人はその再現されたものに心があると考える筈だし、心とはそういったものなのだ、というもの。
もう一つは、我々が「心」と呼んでいるものは、実際には脳(或は脳の物理的振る舞い)という物理的なものでしかないので、脳の物理的振る舞い(或はニューロンの電気的振る舞い)をコンピュータでシミュレーションできるとすれば、それは心をシミュレーションしているということなのだ、というもの。
この二つは全く別の主張であることに注意され度し。
普通は前者のようなものをシミュレーショニズムと呼ぶんだと思うが、それが後者のような心脳同一説とビミョウに混ざってしまうと、おかしなことになる訳だ。
とか。
デネットの悪いところは、現在は兎も角として、最終的には、一つの仕方、つまり物理学の言葉で全てが説明できるようになるように哲学者は努力すべきだ、と考えている、という点だ。
この、見た目に比べて実際には結構強い物理主義(自分では「メチャクチャ緩やかな物理主義」と呼んでいたと思う)の所為で、彼の哲学は無駄に面倒臭くなってしまっている。
物理学の言葉で説明する必要の無いことと物理法則に反することとの違いをはっきりさせておくべきだ。
とか。
政治的多元主義は言うまでもなく、哲学的多元主義も必要だ。
というようなことを風呂の中でぼんやり考えたような夢を見た気がする。
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