2020/10/11

人事権と国体権威主義

自由民主党は、現在の中国共産党の在り方に強い憧れを抱いている。
国民ではなく党の指導者が国家の理想を策定し実現するべきである、という理念を体現している中国共産党と体現しようとしている自由民主党という関係である。
日本を今の中国のような国にしようとしている。
そう意識しようがせざろうが。

民主主義の基本的な理念としては、国家やその諸権力は(主に法によって)国民の権利や自由や幸福の追求等々を担保する為の力である筈だった。
然し今や、権力は主に権力自身の維持と集中の為に使用されることを良しとしてしまっている。

勿論今までにも権力が権力自身の維持と集中の為に使用されてきたことはあった。
民主主義の基盤への挑戦の歴史である。
最近のマイルストーンとしては、小選挙区制、小泉純一郎内閣、(特に第二次)安倍晋三内閣と菅義偉辺りか。
それまではナイショでバレ難くいようにやってきたことが、第二次安倍晋三内閣-菅義偉官房長官の時代に明確に「良し」とされ白昼堂々と行われるようになってきたように感じられる。

自由民主党は、自分達の理念に反対するような思想や言論を如何にして封殺できるのか、ということについて今までもずっと色々と試みてきた。
党の見解に反対する見解を持っているということが党にバレることのリスクを引き上げることに因って、(今のところの日本では)表面上は「表現の自由」が存在するような風を装いつつも反対意見が出辛い状況を作ることに、特に菅義偉の尽力に因って、次々と成功してきた。
菅義偉のこれまでの実績を考えると、日本学術会議会員の任命拒否は起こるべくして起こったものだ。
それが非常に分かり易かったので、人々の目に留まっただけだ。
でもこんなもんじゃない。こんなもので終わりな筈がない。
そうすることを明確に良しとしていて実際に過去にもそうしてきた人物が総理大臣をしていることを考えると、日本における表現の自由に纏る環境は、今後も更に悪くなっていくのは目に見えている。

信じられないかも知れないけれども、この人達は選挙で選ばれた人達なのだ。
選挙制度に重篤な欠陥があり、それがずっと放置されているとはいえ。
或程度は自分達で選択したことなのだ・・・。

今は未だ、表現の自由を表面的には尊重している風を装ってはいるが、そのうちそれを鼻で嗤っているのを隠さなくなるだろう。
党の見解に反する表現をするつもりなら当然反逆のリスクを負って然るべきだと言い放つ日が来ても、もう誰も驚きはしない。
つうかあいちトリエンナーレにまつわる、折角企画は良いのに芸術や表現の自由の勘所をチョイチョイ外してくる所為でイマイチ応援し切れない人達と勝手に日本人の心を代表して勝手に日本人たる尊厳なるものが脆弱で軟弱なので簡単に傷付くものだと喧伝し回っている人達とその他大勢の外野との泥仕合を見ると、絶望的なことに政令指定都市の市長レベルならもう既に口に出してしまっている人間も複数居ることが分かる。彼らは自由民主党の党員ではないけれども。

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名古屋は、アレはもうどうしようもないけれど、大阪もタイガイやねん・・・。